価値観の合う人とだけ一緒にいると、人生はいつかきっと窮屈になる♪


僕らはいつも情報の断片をかき集めて、それを自分の中で統合して、「私の考え」を構築している。

ジグソーパズルのように、組み合わせて形作っていく。

 

 

図書館で本を読むことも、辞書を引くことも、時刻表を眺めることも、人の話を聞くことも、Google先生に尋ねることも。

すべて同じ。

それらは情報源であり、集まった情報をもとに、頭の中で整理整頓していく。

 

 

情報は玉石混交であるから、正誤をきちんと見分ける必要がある。

人伝に聞く話は一次情報か二次情報かが重要だし、話している人のパーソナリティーも重要だ。

ネットの情報は鵜呑みにすることができないから、複数サイトから情報を得る必要がある。

 

 

このようにして集められた情報の断片を組み合わせて、「私の考え」が作られていく。

 

 

SNSが怖いのは、自分好みに情報がカスタマイズされてしまうことだ。

宗教団体に所属すると、同じ信仰の人だけが集まるから情報が偏る。

SNSにも似たところがあって、同じ思想をもった人をフォローしがちになる。

やはり情報は偏る。

 

 

偏った情報が集まり、それを真理だと錯覚することで、考え方の偏った集団ができあがる。

すると排他的になる。

「自分たちと考えの異なる者は間違っている」と誤認識する。

ところが、それは何とも居心地がいい世界だったりして。

排他的な世界は、その世界で暮らす住人にとっては安住の地なのである。

 

 

僕らは日頃から、いろいろなものから情報を得て、取捨選択して自分の情報のポケットに収めていく。

「知っていること」が知識や教養として蓄積され、それを互いに交換し合うことでさらに叡智へと変わる。

対話の重要性はここにある。

 

 

chatGPTなどのA.I.が、これらのプロセスをすっ飛ばして、最速で答えを導き出す世界が迫っている。

やがて僕らは、情報の正誤を自分で確かめる力を失うのだろう。

A.I.が導き出す答えを、無条件で真理と捉える人たちが現れるであろう未来を想像することは難しくない。

 

 

今の社会ですら、マスコミの言うことを鵜呑みにする人は多い。

大衆は自分の頭で考えることをしない。

みんながマスクを着けるならば、マスクを着けるのが正解になる。

その意味まで深く考える人はそれほど多くない。

 

 

だから、A.I.が導き出す答えを見て、「それが正解なんだ」と理解してしまう人間がいても、それは不思議ではないのである。

今はまだ精度が低く、ファクトではない情報も含まれている。

でも、そんなのは時間の問題である。

 

 

大きな課題は、世の中に進歩の速度に対して、人間の進化の速度が追いついていないことだ。

考えない人がさらに考えなくなることはもう止められないのかもしれない。

 

 

さて、少しだけ話題を変えようと思う。

 

僕らは人間を理解するとき、いろんな尺度でその人を理解しようとする。

どこに住んでいるのか?

男性か、女性か?

どんな体型で、どんな顔立ちで、どんな振る舞いをするか。

姿勢はどうか、箸の持ち方はどうか、言葉遣いはどうか。

これらはほぼ無意識のうちに行われる作業だ。

 

 

また、対話を通して相手の考えや価値観に触れ、合う合わないを判断する。

そうやっていろんな角度からその人を理解しようとするわけだ。

 

相手に好意を抱いている場合には、できるだけたくさんの情報を得ようとする。

相手のことをもっと知りたいと思う。

そうやって集められた情報を自分の中で統合し、「その人」の人物像を作っていく。

 

 

「好き」という感情は実は厄介で、「その人」を理想像に近づけようとする作用があり、好意的な情報を過大に、そうでない情報を小さく歪める。

不思議なものだ。

恋心は相手を勝手に理想像に見せる。

その魔法が溶けると、「なぜこんな人を好きになってしまったのか?」と驚かされる。

そう、恋はいつか溶ける魔法である。

 

 

ところが、「嫌い」という感情はそうではない。

好意的な部分を小さくし、欠点や短所を殊更大きく感じさせるかというと、ちょっと違う。

そもそも相手を理解しようとすることを放棄させてしまう作用がある。

 

 

自分と合わない相手であればあるほど、本来はたくさんの情報が必要である。

その人の本当の姿を理解するために、もっともっとたくさんの情報を集めなければならない。

 

 

ところが、相手のことが嫌いになると、その人を知ることそのものを放棄してしまうのである。

「どうせあの人は…」と諦めてしまう。

 

 

人に尋ねる「人物像」がまったく当てにならないのは、その人の相手に対する好き嫌いが、情報を歪ませるからである。

だから、僕らが人間を理解するためには、一定の尺度なるモノサシが必要なのだ。

 

 

多面的に理解しなければ、人間という複雑な生き物を理解することは難しい。

他者を理解するためには、簡単に押し測れるモノサシが必要なのだ。

 

 

そうやって、断片的に集められた情報を自分の中で統合して、他者を理解していく。

やはり最後は、自分の中で考えをまとめる作業が必要だ。

 

 

人材分析の結果を鵜呑みにする人は、マスコミに踊らされSNSの偏った情報を信じてしまう人に似ている。

「この人はこんな人だ」と決めつけてしまうことには注意したい。

 

 

僕は常々、CrewDocks®︎を「モノサシにしよう」と伝えている。

あくまでも、人間を理解するためのツールなのだ。

 

 

僕らは先天的な持って生まれた資質と、教育や経験から培われた後天的なものを持っている。

人間を理解するとき、その両方を考えていかねばならない。

 

 

だから、対話と観察が欠かせない。

経験を知るヒントは、その人の言葉と行動だからだ。

 

 

そうやってかき集められた情報の断片をジグゾーパズルのように組み合わせながら、その人を理解しようとする。

人間関係の難しさは、このプロセスの複雑さにある。

だから、好きな者同士だけで繋がろうとする。

 

 

でも、それだとどうしたって情報が偏る。

自分と合わない人と対話することでこそ、自分の幅は広がっていくのだと思う。

そのためにも、他者を理解するスキルが必要なのだと思う。

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。