なぜあの人は成功したのか-成功した理由が地域によって違うという不思議
最近よく「○○ガチャ」という言葉を耳にする。
「ガチャガチャ」の「ガチャ」。
「何が出るのか、お楽しみ」のガチャである。
ところが、「○○ガチャ」の場合、「ハズレ」について語られる。
親ガチャ、上司ガチャ、先生ガチャ、生徒ガチャ。
まー、とにかく人生とは選べないことが多い。
よくよく考えれば、僕らは名前も顔も生まれる家も国も頭の良さも身長も、何も選べない。
そもそもほとんどのことは「ガチャ」であり、その生まれ持ったスペックを最大限に生かして生きるしかない。
そうなると、「ガチャ」の都合上、成功までの道のりがイージーモードの人とハードモードの人がいるのは明らかである。
この「成功」について、2通りの考え方がある。
ヨーロッパでは、成功した人は「運がいい」と考えるのだそうだ。
生まれた家柄がよかった。
容姿が美しかった。
もともと頭がよかった。
やった事業がたまたまうまく行った。
だから、成功者はそうでない人の生活を支える必要があるよね。
というわけで、税金は高く、社会保障が手厚くなっている。
一方、アメリカはどうかというと、成功した人は「努力」したよね、となる。
成功した人は努力して、成功していない人は努力していないわけだ。
だから、お金持ちはどんどんお金持ちになり、貧しい人はどんどん貧しくなる。
仕方ないよね、努力が足りないんだもん。
…と考えるらしい。
だから、富める者とそうでない者の二極化を生んでいく。
しかし、それは悪いことばかりとは言えない。
起業家を応援する文化があり、次々と新しいスタートアップが生まれている。
成功したら富を得られる世界と成功したらみんなに分配する世界。
どちらが強烈な起業家を生み出すかというと、おそらくは前者なのだろうと思われる。
で、ニッポンの話に戻そう。
この国ではやはり成功した人は「努力した人」と考える。
しかしながら、スタートアップを応援する文化はない。
出る杭は打たれる国だから、人と違うことをすると叩かれる。
同調圧力というヤツが、努力の足枷となる。
そのうえ、税金も高い。
「いやいや、ヨーロッパの方が消費税高いし」みたいな声を聞くが、そもそも社会保障が違い過ぎるので、議論の意味がない。
ショッピングモールのキッズエリアとディズニーランドを比べて、「ディズニーの方がチケット高い」みたいな話をしても仕方がない。
税金は高いけど、それほど社会保障が充実しているとも言えない社会なのである。
そうなってくると、この国で成功するには、出る杭を通り越して、出過ぎた杭になる必要があると思う。
出過ぎた杭は打たれない。
圧倒的な努力と圧倒的な行動量で前に進むしかないわけ。
わりとハードモードなんだけど、そこで諦める人生なのか、そこから這い上がっていく人生なのか。
あなたはまだ選べるんだよね。
ここはもう、ガチャじゃなくて選べるわけです。
さあ、どうします?