なぜ互いの「違い」を可視化することが人間関係を楽にするのか
人間関係というのは難しい。
昨日も今日も、そして明日も、きっとどこかで「すれ違い」が起こっている。
そんなとき僕らは、相手を責める「他責型」の反応を示すか、自分を責める「自責型」の反応を示すことが多い。
「こうなったのはあの人が悪い!」と誰かのせいにする他責型の人は、周りから人が離れていくタイプである。
「どうせ私が悪いのよ」と自分のせいにする自責型の人は、次第に積極性を失っていくタイプである。
ところが、自責型のように一見自分を責めていても、(あー、また、この人、こんなこと言ってるけど…)と言って周囲の人が離れていくパターンもあって。
そんな人は「自責型」のフリをした「他責型」の人間だったりする。
と、まあ、人間というのは「すれ違い」が起こるたび、自分のせいにするか、他人のせいにするか、をするのである。
高知での研修を終え、空港へ向かう車内で、友人である園長先生が話をしてくれたことが、気づきにあふれていたのでシェアしたい。
彼女は僕が教えているDOC理論の効果効能を言語してくれた。
人間関係ですれ違いが起きると、僕らは自分を責めるか、他人を責めるかするわけだけど、それはいずれにせよ「苦しいこと」である。
どちらを選んでも、結局は痛みを伴う。
僕はいつも「違い」にフォーカスをする。
「あなたとこの人は、こんな違いがあるんだよ」ということを言語化する。
すると、みんなは「あー、だから、すれ違いが起こったんだ」と腹落ちする。
実は「すれ違い」は、自分が悪いから起こるわけでも、相手が悪いから起こるわけでもない。
二人が違う人間だから起こるのである。
この人と私は、こんなところが違うんだな。
それがわかると、「すれ違い」が起きた原因が理解できる。
自分を責めることなく、相手を責めることなく、「では、どう折り合いをつけたらいいだろう?」という第3の道が拓けてくるのである。
道がない、すなわち光が見えないと、僕らは絶望の淵に立たされる。
でも、そこに一筋でも光が見えるなら、僕らはあきらめないで「人間関係の構築」にエネルギーを注げるわけだ。
そんな話を車内でしながら、空港までの道のりを走らせた。
僕もまたこうして人との対話の中で自問自答して、自分なりの答えを見つけ出していく。
それをこうやってブログ記事にまとめている。
互いが違うからこそ、気づきをもらうことができる。
人間関係は難しくて面白いのである。