満員電車の中で触れた優しさ〜ホーム&アウエー〜
Jリーグを観に行った帰り、子どもたちと3人で電車に乗った。
息子がいち早く空いた席を見つけ、3人並んで腰を下ろした。
ユニフォームを着た人たちで車内はごった返していた。
ふと目をやると、相手チームのユニフォームを着たお父さんと、小学校に上がるか上がらないかの女の子が立っていた。
小脇にはベビーカーを抱えている。
乗り継ぎの駅までは30分ほどかかる。
僕は女の子に席を譲ると、お父さんは申し訳なさそうに頭を下げた。
先ほどまで、ホームとアウエーに分かれていた二人は、今は電車の吊り革を掴んで肩を並べ、我が子を見守っていた。
昔、僕らがまだ上海で暮らしていた頃、次男坊はまだベビーカーだった。
ある日のこと、駅のホームで電車を待っていた。
やってきた電車は、扉のところまでぎゅうぎゅう詰めの状態だった。
「お父さん、満員電車だね」
「うん、乗れそうにないね」
仕方がないからタクシーにしようか。
そう思ったときだ。
入り口付近に乗っていた中国人の若者数名が電車から降りて
「さあ、乗って」
とスペースを譲ってくれた。
僕は思わずカタコトの中国語で、
「なんで?」
と尋ねたら、言うまでもないという表情を浮かべながら
「次の電車に乗ればいいから」
という答えが返ってきた。
以前、公共交通機関でのベビーカーの利用が話題になったことがある。
混雑する時間帯にベビーカーや車椅子を利用することの是非を問うのである。
ベビーカーや車椅子を利用する人は混雑する時間帯を避けて公共交通機関を利用することを強いる社会。
混雑する時間帯び公共交通機関ではベビーカーや車椅子を利用する人に譲る社会。
どちらが健全で生きやすい社会であるかは明白のように思うけど、実際はそうではない。
このことの是非を問うこと自体が生きにくい社会のように思う。
「次の電車に乗ればいいから」という言葉をサラリと言える若者は素晴らしい。
そんな話を職場の中国人スタッフに話したら、
「そんなの当たり前だよー」
と言われた。
どうやら、席を譲ることは特別なことではないらしい。
そういう社会なのだ。
それでも僕は、あのとき電車のスペースを譲ってくれた中国の若者の行動から、「優しい気持ち」をちゃんと受け取っている。
だからこそ、僕は自然とその女の子に席を譲ることができたのだと思う。
あたたかい思い出を胸に父子が返ってくれたならば、ホームサポーターとしてはうれしい限りである。
そんなことを思い出しながら、眺めた車窓から見える景色は、すっかり夕闇に沈んでいた。
夏はすぐそこまで来ている。