知りたいのは「答え」です。ーなぜ生年月日をもとに考えるのかー
僕は「生年月日」というデータで、人材分析をする。
そんなの占いでしょ、と言われることも多い。
確かにその通りで、日本では「生年月日」のデータは主に「占い」として扱われる。
そもそもの事の起こりを学び、歴史を紐解くと、そういった「エンタメ」的な「当たる、当たらない」のお話ではなく、いわゆる人の一生を読み解く運命論のように扱われてきたコンテンツである。
その人がどう生まれ、どう育ち、どう生きて、どう淘汰されていくか。
他者とどう関わり、どんな影響を与え、どう社会の一員としてその存在価値を発揮するか。
宇宙は必要なものに存在価値を与え、必要のないものを淘汰する。
この世界にあなたが存在するということは、宇宙はあなたの存在を必要だと考えているわけだ。
そういう必要とされている人間が相互に関わり合うことで、この社会は成立している。
このような東洋思想のもとで、「人間とは何か?」を追求した学問なのだけど。
基本的には「当たる、当たらない」のエンタメ的占いコンテンツになってしまっている。
まー、そういう難しい話は置いておいて。
僕はこの、手っ取り早く分析できる手軽さが大きな売りだと思っている。
人材分析でよく用いるのが質問紙法と呼ばれる手法だ。
被験者に対して何十問も質問し、その回答を分析することで分析する。
これは一見正確にその人を分析できるように感じるが、実はそうではない。
人は誰しも自分をよく見せたいものである。
恣意的に答えを選んでしまうのである。
また、何十問も真剣に答えてくれる人間がどのくらいいるだろうか?
それも怪しい。
そのうえ、1名を分析するのに金銭的コストも、時間的コストもかかりすぎる。
「生年月日」を用いると、その辺りが秒でクリアできる。
自分のチーム、学級、社員。
何十人を分析するお金と時間を考えれば、誰にでもわかることである。
「はい、ポン」で出せるのだ。
で、問題はその後。
結局、ほとんどの分析は分析をして終わる。
「だから、どうしたらいいの?」の答えがない。
僕らユーザーが知りたいのは、むしろ分析結果ではなく答えである。
何をしたら良いのかが知りたい。
「何をしたら良いか」がわかると、僕らは迷わず行動できる。
これ、スポーツで言えば「作戦」のようなものである。
うまくいかない現状があると、僕らは迷う。
何をしていいかわからなくて迷う。
でも、ここに「作戦」があると、迷わず行動できる。
これだけやればいいんだ、とわかれば、誰だって行動する。
実際、僕がコンサルした企業さんは、離職に悩んでいたけれど、結果2年ほど離職者を出さなかった。
ご家庭の相談には、それこそ山ほど乗ってきたんだけど、基本的には「まずはこれをやってみよう」で終わる。
いつも最後に尋ねるのは「あなたにできる小さな一歩は何ですか?」で、その一歩を踏み出してくれたら変わる。
大事なのは分析ではなく、「どうすればいいか」が明確になって、ちゃんと自分の意思で「小さな一歩」を決めて、その一歩を踏み出すことである。
そうすれば家庭でも、クラスでも、組織でも変わる。
必ず変わる。
そう考えたとき、分析についてはできるだけ手っ取り早く行いたい。
時間的コストも金銭的コストもできるだけ抑え、早く「答え」に辿り着きたい。
その方が求めるゴールに直結すると思うのだ。