何のために書き、何のために生きるのか
「書きたいことを書けばいい」
朝活でもライティングスクールでも、そんなことを伝えている。
そんなことを伝えているくせに、全然書きたいことを書いていない。
それでなんだか書くのが嫌になって、ブログの更新やメルマガの配信が止まってしまった。
まー、なんというか、書いていて楽しくない。
「書け」と言われれば書けるのだけど、自分の中に「湧き上がるような何か」がないから、書いていて楽しくないのだ。
「書くこと」は自分と向き合う作業だ。
「湧き上がるような何か」を文字化していく。
「湧き上がるような何か」をそのまま文字にしてしまうと、それは「何か」であって、書いている僕には「素晴らしいもの」でも、読んでいるあなたには「なんだかよくわからないもの」になってしまう。
だから、伝わりやすい形に整えていく。
どうしたら伝わるのか?
エピソードや具体例を交え、できるだけわかりやすい形にしていく。
そうやって出来上がったものは、自己満足の代物ではある。
自己満足の代物ではあるのだけど、それを「面白い!」と思ってくれる人がいたことで、僕の仕事は成り立っている。
内容が何か仕事や人生に直接役に立つかはわからない。
わからないけれど、僕が紡ぎ出した言葉で、誰かの小さな一歩に繋がっているなら嬉しい限りだ。
7年ほど前、ブログを書き始めた。
その日から今日まで、描いた未来通りになったことなんてなかった。
ただ、書いていると、いろんな頼まれごとがやってくる。
それに応え続けていたら、「はい、こうなりました」という感じの今で。
日々の暮らしの中で、自分が感じたことや思ったことを素直に書き綴ってきた結果、よくわからないところに立っている感じだ。
昨日から夜活が始まって、今朝も朝活でこの文章を書いて、夜と朝で50人の方とご一緒している。
インターネットがなかったら仕事にならない。
日本全国の人と夜遅く、そして朝早く顔を合わせて、これだけの人と交流できる。
それは、すごい革命的な世界だと思う。
考えてもみてほしい。
5年前なら、夜遅く、もしくは朝早くに、日本全国の人、50人とミーティングする、なんて言ったら「へっ?」って思われてたはずだ。
それが今は可能になっている。
じゃあ、ここからの5年、世の中はどうなっているかを想像してみる。
そりゃもう、想像なんてできない。
きっと、もっと革命的な何かが起きていて、その頃になれば、「あの頃はまだZOOMとか使ってたね」なんて言ってるかもしれない。
昔は電話回線でピーピー言いながらインターネットに繋いでいたのが、今やWi-Fiだぜ。
僕らの周りを電波が飛んでいて、映画が観えるんだ。
当たり前のようだけど、不思議なことだよ。
こういう世界だから、僕は毎日書き続けて、それがご縁を呼び、新たな何かが生まれていく。
こういう世界だから、僕は生きられる。
書きたいことを書いてきた僕だから、これからも書きたいことを書いていきたい。
変に硬くならず、自由にのびのびと。
そして、それを好きだと言ってくれる人と過ごしていきたい。
うん、なかなか取り止めのない話だ。
思いつくままに書いてみた。
いい感じだな。
ほんと、自己満足の代物だ。
自己満足で何が悪い!
書きたいことを書けばいいのだ。