人の言葉にイラッとしたときに思い出したいこと〜「正しさ」という病い〜


この世界に絶対に「正しい」と言えることなんてあるのだろうか。

そんなことを考えていた。

 

 

世の中は「そんなの間違ってる!」と思うことで溢れている。

SNSやネットニュースを眺めていると、いろんなところで誰かが誰かを叩いている。

 

 

「お前は間違ってる!」

「君の考えはおかしい!」

「全然わかってない!」

「話にならない!」

 

 

あぁ、なんか、みんな、怒ってるなぁ。

 

 

「私はこう思う」という主張は、どこかに「あなたは間違っている」を含んでいて。

みんなが自分の「正しさ」を主張し合っているように見える。

 

 

そんなとき、いつも思うのは「正しい」って何だろう?ということだ。

 

 

例えば、マスクの話。

「マスクなんていらない」って人と、「マスクは必要」って人に分断されている。

 

 

「マスクなんていらない」って人は、「マスクは必要」って人は「間違っている」と考える。

逆に、「マスクは必要」って人は、「マスクなんていらない」って人は「間違っている」と考える。

 

 

ほら、「正しさ」なんてものがあるから「自分」が正しいと、「相手」は間違っているとなってしまう気がするんだよな。

 

 

僕はね、いつもこう思うんだ。

どちらも正しくて、どちらも正しくないって。

 

 

物事にはいつも光もあれば影もあって。

正しいことも正しくないことも内包されていてね。

すべては陰と陽なの。

 

 

必要か、必要でないかはその人が決めればいい。

どちらでも間違いじゃないよ、なんて思うのだ。

 

 

自分は正しくて、相手は間違っている。

こういうスタンスで人間関係を構築するのは難しい。

 

 

あなたはそう思うんですね。

私はこう思うんですよ。

…で良いと思っていて。

 

 

この世界にはいろんな意見があって、そのどれもが素晴らしく、そのどれもが否定されるべきものではないと思っていて。

 

 

ただ、その意見がたとえば他人を不愉快にさせるようなものだったとき、それをわざわざ表明するか、そっと胸の奥にしまっておくかは重要で。

 

 

「今」という時代は、「昔」なら酒場の愚痴でポイ捨てしてきたような言葉たちをわざわざインターネット上という半分オフィシャルな場に投げ捨ててしまうがために、他者を不愉快にさせていることが多いと思うのだ。

 

 

発信する側の人間として、常に自分の言葉が人に与える影響について考えている。

 

 

人のこと、気にしすぎたら発信なんかできなくなる。

だから、相手がどう思うかなんて、考えちゃいないけどね。

 

 

でも、自分の書いたことが良い意味でも悪い意味でも、人に影響を与えるんだってことは忘れちゃいけないと思うんだ。

 

 

だから、僕はいつも自分の意見が「正しいとは限らない」と思って書いている。

常に「僕はこう思う」という書き方をしている。

 

 

「僕はこう思う」けれど、君はどう?

そんなスタンスで発信している。

 

 

人間は間違える生き物だ。

失敗から学ぶ、尊い生き物なのだ。

そういう人間の一人であると自覚し、世の中には「正しさ」がたくさんあると知っているだけで、幾分この世界を生きるのが楽になるような気がしている。

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」として人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・2018年~2019年 100人のボランティアスタッフをマネジメントして『子育て万博』を主催。

・2021年~2024年 パリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフのマネジメントを担当。

・経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムCrewDocks®︎を開発。企業研修など精力的に活動中。