与えるのも愛、受け取るのも愛 〜人一倍責任感の強いあなたへ〜
僕の周りには「学校の先生」を仕事にしている人が多い。
過酷な労働環境だから、ストレスを蓄積させてしまうこともある。
実際、心を病んでしまったり、体調を崩してしまったりもする。
僕自身、現役時代はよく体調を崩していた。
若い頃は、「ベッドから起き上がれたら出勤する」というスタンスで、高熱でも仕事に穴を開けないようにしていた。
まー、責任感というヤツだ。
それで、「学校の先生」には2種類いて、もの凄く責任感の強いタイプともの凄く責任感のないタイプに分けられる。
ほどよい責任感の持ち主はあんまりいない。
凄く強いか、まったくないか。
2つに1つのようなところがある。
当然のことながら、責任感の強いタイプには、あれもこれもと仕事が降ってくる。
「できません」が言えないから、全部引き受けてしまうのだけど、そういうタイプはスペックも高いから仕事をこなしてしまう。
で、こなしてしまうから、また仕事が降ってくる。
仕事に軽重がありすぎる。
僕は毎年訴え続けてきた。
責任感のないタイプは、平気で「できません」と言う。
〆切に平気で遅れるし、ミスも多い。
そんな人間ならクビにしてしまえと思うだろうが、そこが公務員の凄いところで、そういう人はいつまでもそういう人のままでいられる。
したがって、そういう人の仕事は減らされ、できる人の仕事は増えていく。
責任感の強い人は潰れるまで、がんばり続けるのである。
ある先生が体調を崩した。
本当ならしっかり養生するべき、大きな病だった。
それでも、がんばろうとした。
無理すればがんばれる!
やりたい仕事がある!
責任感の強い人は、がんばってしまうのだ。
ただ、幸いにもこの先生は愛される人だった。
周りの先生が止めてくれた。
幸い校長先生が理解のある人で、率先して止めた。
「ゆっくり休みなさい」と言う。
こういうことが言えるリーダーは信頼できる。
自分で選べと言われれば、がんばることを選んでしまうだろう。
だからこそ、あえて「休みなさい」と言ってくれる人は強い人だ。
愛ある人は強い人でもある。
最近は教員不足が話題になりがちだ。
現場はいつだって多忙を極めている。
それでも「ゆっくり休みなさい」と言える。
それって、そんなに簡単なことではないだろう。
この先生は迷っていた。
それでも迷っていた。
身体のこと、心のこと、心配してくれる人がいるのは素敵なことだ。
愛されていると思う。
愛は与えるだけではない。
ちゃんと受け取るのも、相手に対する愛だと思う。
あなたを思ってくれる人がいて、その思いをちゃんと受け取れるあなたがいればいい。
長い長い人生で考えれば、休むことはほんの少しことである。
たとえばあなたがあと50年生きるとしたら、約18520日。
3ヶ月休んだとしても0.4%。
1年間に換算すれば2日休むぐらいのものさ。
ゆっくり休めと言われたら、それを受け取るのも愛だ。
以前、どこかに書いたけれど、僕は生徒に殴られて救急車に運ばれた過去がある。
そのときは復帰に数ヶ月かかった。
しかも、これも以前に書いたけれど、保護者に追い込まれ毎日板の間に正座して電車に飛び込もうとした過去もある。
救急車に運ばれた事件が1学期にあって、飛び込もうとした事件が2学期にあった。
おかげで、僕はこの年、半分以上自宅療養して過ごしていた。
ちなみに、復帰した翌年から生徒指導主事になるという、なかなかの荒療治だった。
休んだ経験のある僕に言わせれば、それはちょっと長めの夏休みのようなものさ。
まずはじっくり養生することだ。
だって、人生は長いのだから。