子育ての方針を突然変えると、子どもは戸惑います。
子育てにおいては、勉強熱心な親の方が注意が必要である。
本来、子育てなんて人間という生き物がこの世界に登場して以来、ずっと続けてきた営みである。
原始人も、戦国時代も、江戸時代も、子育てはずっと行われてきた。
しかし、育児書なんてものはなく、つまりはわざわざそんなものを学ぼうなんて人間はいなかったわけだ。
日本最古の育児書は1703年に出版された「小児必用養育草」だとされている。
読者は男性。
お家存続のために学んだというのだから面白い。
そんなわけで、依頼されれば子育て講座もする僕だけど、子育てなんて学ぶほどのことはないのにな、と思っている。
あれこれ学んで難しく考えるよりも、「共働きであまり子どもに手をかけられませんでした」という親の方が案外良い関係を築いていたりもする。
もうちょっと肩の力を抜いてもいいのにな、と思う。
それで、我が家は「やりたいことをやりなさい」というスタンスで子どもと接している。
門限なんてものはないし、何もかも自由だ。
この正月はみんなで桃鉄やったり大富豪やったり。
ボードゲームも山ほどあって、みんなでよく遊ぶ。
テレビゲームもニンテンドーSwitchにプレステ4にプレステ5に揃っていて、YOUTUBEもよく観るし、動画配信サービスのサブスクもいくつか加入している。
みんな好きなことをしているし、「ゲームのし過ぎだ」「YOUTUBEの見過ぎだ」と注意したこともない。
「勉強しなさい」と言ったことすらない。
何なら、子どもが勉強しているのに、父は「ねー、桃鉄やろー」と誘ったりもする。
「勉強とかしてないで桃鉄やろうよー」というと、「今忙しいから待ってて。あとで遊んであげるから」と言われる。
僕はしょんぼり待つことになる。
で、こんな話をすると、真面目な親の中には「おお、そうか。それでいいのか」と思って、突然実践を始めてしまう。
これが失敗の元である。
我が家は、彼らが生まれたときから、そういう家庭である。
親もやりたいことをやるから、君たちもやりたいことをやりなさい、という家庭である。
それはたとえば、回転寿司に行っても、「好きなものを食べなさい」なのである。
で、彼らはいきなり「パフェ」とか注文する。
回転寿司なのに、唐揚げとラーメンとか注文する。
それを「ウケるね」で終わらせる。
こういうスタンスを貫いてきた。
我が家はみんな、食べ物の好き嫌いがない。
というか、嫌いなものを把握できていない。
親は作りたいものを作っている。
食べられなければ、食べなければいい。
「嫌いなものも残さず食べなさい」なんて言ったことはない。
言ったことはないけれど、たぶん嫌いなものがあると我が家では生きていけない。
先日、野菜が食べられないという子が泊まりにきた。
「へえ、そうなんだ」と言って、普通に野菜たっぷりの鍋を出したら目を丸くしていた。
その姿を見て、僕は目を丸くした。
そうか、食べられないものがあると、食べられるものが出てくる家庭もあるのだな。
我が家にはそんな文化はない。
食べるものがなかったら、食べなきゃいいじゃん、と考える。
「じゃあ、自分で何とかしろよ」みたいな感じになるので、生きていくためには出されたものは文句を言わずに食べるしかない。
食べなくても何も言われないが、生きていくためには自分で何とかするしかない。
そういう文化の中で育ててきたので、「やりたいことをやりなさい」が成立するのである。
基本的にすべて「ご自由に」というスタンスである。
自由というものには責任が伴うのである。
娘は今、県内ではトップクラスの高等学校の美術科に通っている。
美術科に入るために「デッサンを習いたい」と言い出した。
「へー、がんばって」とだけ声をかけた。
親として何かをすることはない。
中学生だった彼女は、自分で調べて電車で1時間もかかる美術の塾を見つけてきた。
自分で願書を取り寄せ、願書を書き、何なら保護者印も押し、「ここで学びたい」と言ってきた。
僕は授業料をクレジットカードで決済した。
やったのはそれだけ。
「へー、がんばって」とだけ声をかけた。
「やりたいことをやる」って、全部自分でやるのである。
全部自分でやってまでやりたいか、が重要である。
で、それはいきなり「はい、今日から我が家はやりたいことをやってよろしい」と言ってやれるわけではない。
やりたいことをやれるのは、小さな頃から訓練し続ける必要があるのだ。
自分は何が好きで、何がやりたいか、いつもそれに従って行動している。
長男は今、国立高専でロボットを作っている。
最近は社会人チームでロボット製作に取り組んでいる。
彼も小さい頃から「やりたいこと」をやってきた。
最後にヒントを伝えたい。
一番意識したことは、やりたいことをやらせることよりも大切なことがある。
それは、やりたくないことをやらせないことである。
あ、これ、まったくヒントになっていないかもしれない。