チャレンジ&カバーできる職員集団を作りたい
僕が学校を作るなら、という話をしたい。
今日まで出張。
小学校づくりプロジェクトに参画している。
そこで浮かんできた言葉がチャレンジ&カバー。
これ、サッカー用語。
守備の共通理解なんだけど、相手ボール保持者に対して、1人の選手がボールを奪いにいくときは、必ずドリブル突破されるのを想定して、もう1人が背後に控える。
人間には足が2本しかないから、足を出してボールを奪いにいくと、片足立ちになる。
だから、この間、人間は移動することが不可能だ。
いわば、ボールを奪いに行くことは、相手にドリブルで抜かれるリスクを伴うのである。
そこで、サッカーではカバーする味方がいなければ、ディレイといってボールを奪いに行かず相手の進行を遅らせるように相手の進路を妨げつつ後退する。
相手をスローダウンさせている間に味方が陣形を整え、後ろのスペースをカバーしてくれたのを確認して初めてボールにチャレンジする。
長々と説明したけれど、これがチャレンジ&カバー。
で、ようやく学校の話に戻るんだけど、職員間の連携もチャレンジ&カバーだな、と思っている。
チャレンジできる子どもたちを育てたい。
だから、先生たちもチャレンジしてほしい。
子どもに求めることを、大人はできていない、なんてパターンが多くて。
子どもに「夢」を求めるくせに、先生には「夢」がなかったり。
子どもに「忘れ物するな」って注意するくせに、先生は忘れ物したり。
そういうのって、僕は「なんか違うよね」って思うわけ。
だから、子どもに「チャレンジ」を求めるなら、先生たちだってどんどんチャレンジしたらいい。
で、そのときに職員間でカバーする文化を醸成したいな、と思ってる。
それぞれが好き勝手にチャレンジするのではなく、ちゃんとコミュニケーションをとって、懸念される問題点をみんなでカバーしながら進めたい。
チャレンジする勇気って、失敗を許容される文化があるからこそ湧いてくる。
これ、たぶん学校に限らない。
あらゆることがそうなのよね。
チャレンジとカバーって同時に存在しないと成立しないと思ってて。
逆に、チャレンジしてないのにカバーしてもらってたら、日々のルーティンワークすら成立させることができないわけで。
それはもう、依存ですわ。
それじゃ困る、と僕は思っている。
働く以上は最低限、自分のすべきことは自分で成立させないと仕事にならない。
それは最低限として、チャレンジすることと、それをカバーするが大事で。
当然、チャレンジする人とカバーする人はどんどん入れ替わっていく。
そういう文化をちゃんと作っていきたいな、と思う。
最初は絶対、少数精鋭になるだろうから、自分の日々の仕事をこなしながら、チャレンジ&カバーしていける教員集団を作らなきゃな、と思っている。
それは巡り巡って、子どもたちのチャレンジする文化につながっていくわけだ。
そう考えると、職員集団の姿はそのまま子どもたちの姿でもあり、先生たちがキラキラ輝くような声かけや関わり方をしていきたいと思う。