自責思考の人と他責思考の人では、異なる情報の捉え方をする。
矛盾する情報に対応できない人がいる。
情報を正しいか、正しくないかで眺めてしまうと、矛盾する情報に対応できなくなる。
この世界には事実しかなくて、その事実をどのように表現するかで伝わり方が変わる。
その伝え方が「情報」である。
たとえば、数年前、マスクの着用が話題になった。
マスクは着けた方がいいのか、着けない方がいいのか。
賛否両論だったのを思い出す。
衛生的でないから意味がないとか、ウイルスを通さないから意味があるとか、とにかくいろんな情報が飛び交っていたわけだ。
そうすると、Aという情報が正しいとすると、Bという情報は間違っている、みたいなことが当然起こる。
まさに、矛盾である。
「この矛は貫けないものはない!」という最強の矛を売る商人がいた。
さらに加えて「この盾を貫けるものなどない!」という最強の盾も売っていた。
それで一人の老人が尋ねる。
「その矛で、その盾を突いたらどうなるのか?」
商人は答えることができなかった。
あの「矛盾」である。
世の中にはそういう矛盾した情報が山ほどある。
ワクチンの話なんかはその典型で、多くの人が「一体これは打った方がいいのだろうか?打たない方がいいのだろうか?」と迷ったはずである。
この世界には事実しかない。
「情報」はそれらを発信する人が、事実を切り取って、もしくはところどころは自分達に都合よく解釈して表現したものに過ぎない。
このことを忘れてはいけないと思う。
子どもたち同士がケンカになって、トラブルが発生したりする。
先生としては双方の話に耳を傾けるわけだけど、どうも二人の話が合致しない。
そんなとき「どちらかが嘘をついている」と考えがちだ。
でも、子どもたちの供述は「情報」であって、「事実」ではない。
決して嘘をついているわけではなく、その子が見た世界をその子なりの言葉で表現しているに過ぎない。
だから、丁寧に事実だけを抽出していくことが必要だ。
今、僕らは一人の人間が処理できる量を遥かに超えた情報の波の中にいる。
何が本当で、何が嘘なのか、わかりにくい社会である。
だからこそ、自分の頭で考えることが大切だ。
そのためにも、事実と意見を切り分けることを意識しておきたい。
人の噂話なんてのは取るに足らない情報で、それはなぜかと言えば、事実を根拠としていないからである。
今ある情報から事実のみを抽出し、その頭で考え、何を選ぶかを自分で決める。
どうしていいかわからないというのは、自分の頭で考えることができていない証拠である。
どうしたらいいかは、わかるものではない。
事実をもとに、自分で決めるものだ。
だからこそ、自分の行動には責任が伴う。
自分の行動に責任をもつ自責思考の人は、自分の頭で考えることができる人だ。
情報を鵜呑みにする人は、他責思考である。