「良いこと言ってるけど、それ、自分が一番できてねーじゃん!」というブーメランを投げるのが得意な人
人間には瞳が2つあります。
眼球はいつも外側を向いているから、人のことがよく見えるんです。
でも、自分のことを見ることはできません。
思えば、僕は一度も自分の姿を生で見たことはありません。
鏡の中の僕はいつも反転していますし、背中を見たことは一度もありません。
リアルな僕がどんな姿なのかは、これまでも、そしてこれからも、見ることはないのです。
昔、自分の声を録音したとき、「変な声だな」と思ったことは誰にだってあると思います。
そのことを周囲の人に伝えると、「いや、いつもの声だよ」と口々に言います。
自分が聞いている声と他人が聞いている声は違う。
そういうものなのだと驚きました。
僕は僕が見えないし、あなたはあなたが見えない。
だから、自分を理解することは難しいんです。
僕はデータをもとに「この人はこんな人」というのを分析することを仕事にしています。
そんな分析データを見て、人は「合ってる」とか「合ってない」とかいいます。
「これは自分のまんまだ」と言う人もいますし、「こんなのは自分じゃない」と言う人もいます。
僕はそういうの、どっちでもいいのにな、と思っていまして。
なにせ、ほとんどの人は自分のことが理解できていないんです。
分析データについて、自分のことが理解できていない以上、当たってる当たってないなんて、その人の主観でしかない。
自分で自分のことを認知できているのはごく一部分ですから、その情報でもって解釈しているに過ぎません。
世の中には「成長しない人」というのがいます。
大人になっても成長しない人、これは自己理解が大変低いです。
「成長しないな」と感じるのは、同じ失敗を繰り返す人です。
失敗をすると次は失敗をしないように気をつけるようになります。
同じ失敗をしないように、前回の失敗から学ぶのです。
ですから、「成長したな」と周囲の人は感じます。
「あの人は成長しないな」と感じさせるのは、同じ失敗を繰り返すからです。
失敗をしても、次に失敗しないような工夫を致しません。
努力で何とかしようとします。
例えばお料理をしていてお鍋を焦がしてしまったとします。
成長しない人は、がんばって次は焦がさないようにしようとします。
成長する人は、火加減を少し弱く設定したり、キッチンタイマーを活用します。
創意工夫するのです。
成長しない人の本質は他責思考です。
この失敗は自分以外に原因があると、深いところで信じています。
「私がダメなんです」と一見自分を責めているような言葉を発しますが、次に向けて何の工夫もしません。
自分の責任だとは、深いところで思っていないのです。
話を戻します。
自己理解が低い人は成長しない人です。
自分のことが客観視できませんから、成長すべきことを見つけることができません。
時折、壮大なブーメランを投げ続ける人がいます。
ブーメランというのは、投げたものが自分に返ってくる現象ですね。
「相手の話をじっくり聞かなきゃいけないのよ」なんておしゃべりしている。
そういうことを言う人に限って、人の話をじっくり聞けなかったりします。
そんな人を見かけるたびに、僕は「この人、どんな気持ちで話しているのだろう?」と観察するわけでして。
僕としては「特大ブーメランだな」と思うわけですが、どうも話している相手はそんなことを思っていない。
あぁ、そうか。
自分を理解するって難しいんだな、と思いました。
自分のことを理解できないから、平気でブーメランを投げてしまうんですね。
自分で自分を理解し、日々自分自身をアップデートできる人もいます。
瞳が外側に向いていても、ちゃんと心の目で内面を見つめている人です。
自分との対話が得意な人です。
そういう人はブーメランを投げません。
自分のことが見えているからです。
自分を客観視できないと、やはり成長は難しいです。
自分を見つめる瞳がない以上、見ようとしなければ見えないんですね。
自分のことが見えていない人は、ブーメランを投げるのが得意です。