誰でも通過する教採と仕事の軽重がありすぎるというマネジメントの失敗
教職員を志す人が年々減っている。
先日、教育大学の先生が、三重県の教員採用試験の一次試験に全員が合格してきた、という話をFacebookに投稿していた。
その先生から見て、合格水準にないであろう学生まで通過したということに驚いていた様子だった。
時を同じくして、友人から嘆きのメッセージが届いた。
中堅を通り越し、年齢的にはベテランに差し掛かったのその先生は
「学期末の仕事、全部終わったのに、いろんな仕事が降ってきて帰れない」と嘆いていた。
僕は学校のマネジメントにおける最大の失敗は「仕事の軽重がありすぎること」にあると思っている。
いや、確信している。
仕事ができる人ほど仕事が多く、仕事ができない人ほど仕事は少ない。
その結果、仕事のできない人が定時で帰り、仕事のできる人が遅くまで残ることになる。
仕事の総量は、同じ給与体系である以上、全員が等しくなければならない。
ところが、実際にはそうではない。
人の能力によって、明らかに与えられた仕事量が変わる。
仕事量が多いということは、役職が増えるということで、出席する会議も増えるし、出張も増える。
そのうえ、授業数まで増えたのではたまらない。
それで、この問題点を管理職に訴えてみる。
返事は決まって「仕方がない」か「みんなやってきた」である。
若い先生から見れば、尊敬できるはずの「仕事のできる先輩」が、膨大な仕事に埋もれて疲弊している姿を見続けるわけで。
「将来は自分もそうなるのか」と思えば、離職が頭をかすめるのも仕方がないことだろう。
管理職は「仕事のできない人もいる」というが、その皺寄せを「できる教員」に押し付ける体制では、できる人から辞めていくのは想像に難しくない。
「仕事のできない人」にできる仕事を見つけてやり、少しでも「できる教員」の負担を減らすのがマネジメントであるのだが。
マネジメントの失敗は、「できる教員」の負担を増やし、「できない教員」を増長させてしまう。
どれだけ採用に力を入れたところで、離職したい人が増える一方の職場では、入る人と辞める人のイタチごっこである。
まして、誰でもなれる教員採用試験になれば、ますます「できない教員」の方が増えてしまう。
マネジメント体制を抜本的に見直さねば、教育現場はますます疲弊していくことだろう。
だが、マネジメントすべき管理職を志す人も少なくなってきていると聞く。
日本の教育の足元はすでにグラグラと揺れ、底が抜けそうな勢いである。