生きる意味を教えてください。
明日、死ぬかもよ♪
深夜0時。
突然、左の脛が痛み出した。
ズキズキを通り越した痛み。
身悶えするような痛みに襲われた。
(妻を呼ぼう…)
そう思ったけれど声が出ない。
とにかく苦しい。
寝室の扉を叩くように開け、かろうじて声が出た。
なんて言ったかは覚えていない。
その異変を感じたのか、我が家に遊びに来ていた友人と妻が駆けつけてくれた。
だが、今度は全身に悪寒が走った。
とにかく身体が震える。
(寒い…)
全身が痙攣した。
(死ぬかも…)
本気でそう思った。
そして、
(あっ…、明日のメルマガ書いてないな…)
そんなことを思った。
ちょっと笑えた。
大量の布団をかけられ、温められて数分。
僕はなんとか息を吹き返した。
「救急車を呼ぶ?」
狼狽した妻の声が何度も響いた。
その声に安心した。
気がつけば眠りについていた。
今、目が覚めて今日のブログを書いている。
あれはなんだったのだろう?
身体の痛みも悪寒も、もうない。
原因がわからないのは不安だけれど…。
生きててよかった。
また、今日も生かされた。
そんな気持ちで朝を迎えた。
生きることが苦しいあなたへ
こんなことを書いたのには、理由がある。
日々、お母さんだけでなく、子どもたちの悩みにも答えている。
生きてることが苦しいと言う子。
生きる意味がわからないと言う子。
それは悲しいことなのだけれど、そんな悩みを抱えている思春期の子どもはたくさんいる。
「自分はどうしたいのか?」
「自分はどうありたいのか?」
「どんなことにワクワクするのか?」
そんなことを子どもたちに問いかけ続けてきた。
子どもたちの生活は、「恐れの選択」だらけである。
家でも、学校でも、「こうでなければならない」の連続である。
「べき」「べき」「べき」のシャワーを浴びて、大人の価値観を植えつけられていく。
気がつけば、「小さな大人」ができあがる。
「最近の子どもは変わった」と誰かが言う。
そんなことはない。
そうさせたのは、僕たち大人なのだ。
子どもたちは何も変わっていない。
とってもピュアな存在なのだ。
大人の「こうでなければならない」が子どもを苦しめてはいないだろうか。
そんなことをいつも、自分自身に問い続けている。
生きることに悩んでいる子にこんなことを伝えた。
生徒へのメッセージ
人生は遊び場。
実験の場。
ワクワクすることを全部やる。
やりたいことを全部やるためにあるんだよ。
どんな生き方も選べる。
「やらなきゃいけないこと」に囲まれた人生。
「やりたいこと」に囲まれた人生。
あなたはどちらにワクワクしますか?
どちらの人生だって、あなたは選べる。
選んでいいんだよ。
人生をおもしろくする「しつもん」があります。
それは、「自分はどう在りたいのか?」
どこで?
だれと?
なにを?
どんな在り方が心地いいのか。
それを問い続けるだけ。
そして、それを選ぶだけ。
人生は選べるんだ。
今はもしかしたら、「こうあるべき」という恐れに囲まれているかもしれない。
苦しいよね。
それは人生の助走です。
人生の滑走路です。
準備運動です。
これからあなたが「ワクワクする人生」を選ぶための準備だから。
苦しいのには意味があるんだよ。
未来から過去を振り返ると、辛かった思い出は全部、線でつながっているんだ。
「あれがあったから今がある」
そう思える日はきっと来る。
今、苦しいよね。
そこにはきっと意味があるから。
人生を自由自在に飛びまわるための滑走路にいるんだよ。
飛ぶか飛ばないか。
選ぶのはあなただよ。
子どもから学ぼう
子どものころ。
大人の「こうでなければならない」との戦いの連続だった。
決していい子ではなかったけれど、それほど悪い子でもなかった。
大人は子どもに与えるもの。
そう考えている人は多い。
でもね、
僕はたくさんのものを子どもから受け取っている。
子どもは僕らを映し出す鏡である。
大人はもっと子どもから学んだ方がいい。
そんなことをこれからも伝えていこうと思う。
今朝、目が覚めて、そんなことが頭に浮かんだ。
(生きててよかった…)
心からそう思った。
今日もこの生かされた命を輝かせよう。
さあ、どんな人生を選ぼうか。
ハッピーな先生になるためのしつもん
子どもから何を学びますか?