理不尽なルールでも伝えるしかないわけで…
「バカじゃないの?」って思うルールだって子どもたちには指導しなきゃいけない。
理不尽なルール。
くだらないルール。
「学級通信って書けない先生もいるでしょ?くればやしくんが学級通信を書くと、保護者から他の先生になぜ先生は書いてくれないんですか?みたいな苦情とか来たら困るでしょ?だから、できれば書いてほしくないんだよね」
まぁ…、昔の思い出ですから。
そんなわけで、理不尽なルールを僕はこんなふうに指導しております。
子どもたちに伝えること
どんな社会に属したって納得のいかないルールがある。
その組織に守られている以上、そのルールを守んなきゃいけない。
そこの組織に守ってもらっといて、でも僕はルールなんて守りませんよ、なんてのは違うと思うんだ。
でさ、中学生までは、自分で自分の所属する場所って選べないじゃん?
今の現状に不満もあるだろ?
糞食らえみたいなルールもあるだろ?
じゃあ、中学校出たらさ、お前の人生はお前で選んでいいんだよ。
つまんねえルールはいらないって、全部責任を背負って生きるのもありだし、ある程度折り合いつけて我慢してルールを受け入れるってのもありなわけ。
全部選べるんだよね。
だからさ、今はまだ守ってもらってんだ、なんだかんだ言って。
だから、それも学びだと思って受け入れる必要があるよね。
で、納得いかないなら校長室に乗り込むなり、生徒会役員になってルールを変更するなり、行動を起こせ。
自分じゃ何もしないクセに勝手にルールを捻じ曲げたり、つまんねえ理屈こねてウジウジやってんじゃないよ。
本音で語るということ
これが正しいかどうかなんて知らないけどね。
僕はいつもいつも大切にしていることがあるんですね。
それは、本音で伝えるってこと。
先生らしい言葉なんて全然考えてなくて、本気で伝えることは本気で伝えなきゃいけないんですね。
もう、そこは真剣勝負ですよ。
社会にはちゃんとルールがあって、そういうものに僕らの暮らしは守られている部分もあります。
社会の一員として、その一翼を担わなきゃいけないわけですし。
もちろんそこには、腹落ちしないこと、たくさんありますよ。
当然、理不尽なルールだってたくさんありますよ。
で、
「オレ、ルールなんて関係ないし!」
みたいなことは言えないわけです。
それは、僕も生徒も同じです。
完全に同じ土俵です。
だから、そこ、本音で語ります。
そういう理不尽なルールすら、子どもたちが成長するための学びだと思うんです。
「現状がおかしいと思うなら、行動しろよ。先生、おかしくないですか?なんて言う前に、おかしいと思うなら、そのおかしいと思う現状を変えるための行動を起こせ」
そんな話、よくしました。
先生や親が先回りをしてしまうとね、学びの機会が失われます。
すべてのできごとを学びに変える能力が教育者には求められていると、僕は考えます。
ハッピーな先生になるためのしつもん
目の前で起きていることを、どのように学びに変えますか?