子どもを信じるって、どういうこと?
子どもを信じるということは、なにも「この子は本当はもっと賢い子なの!」とか「この子はこんな力じゃないの!」って盲信することではないんです。
「私はこの子の力を信じています」
それは一見美しく見えます。
でもね、その言葉が子どもたちには苦しかったりするんだよね。
「信じる」ってのは受け入れるってこと。
あきらめるのとは違います。
受け入れるんです。
あれこれ、子どものことを心配になる。
なんでなるかって、比べるから。
僕らの瞳は外を向いているでしょ?
思春期になると人と比べるようになります。
比べることで自分を知っていきます。
感性の近い人とつながっていきます。
自分よりも「何か」が優れている人。
自分よりも「何か」が劣っている人。
いろんな出会いによって自分を知るのです。
小学生のときは「友達100人できるかな?」でよかったのに、思春期になると親友をつくりたくなるのは、そういうことなんです。
でね、自分「を」知るということは、自分「で」知ることなんです。
それはだれかが教えるようなことではないのです。
「あなたはこうなのよ」だなんて、他人が教えることではないのです。
自分で自分に気づいていくんですね。
すると
「もっとがんばりたい」とか
「負けたくない」とか、
この子の中にそんな気持ちが生まれてくる。
すると行動が生まれます。
もちろん、そんな思いがなければ、
行動は生まれません。
つまり、すべてはこの子の中で生まれること。
信じるとはつまり、
この子の中で「生まれる」というプロセスを信じるということ。
「あーしなさい」
「こーしなさい」と先回りすることなく。
この子の内側を信じるということなんです。
ある意味では、「あきらめる」ということ。
親の意図した通りに育つことを「あきらめる」ということね。
すべてはこの子の内側にあるんです。
さあ、そのことを信じ抜けるか。
試されてるのは大人なんだ。
子育てに迷ったときに出逢いたい100の言葉
あれこれ言ったってさ、この子の根っこは変わんないよ。