ハテンコー先生の愛される教室

ハテンコー先生

2万字を超えてます…。

こんなものを書いてみました。

第1話 毎日電話がかかってる

 「またか…」

 

 自然と口からこぼれ出て、思わず天井を仰いだ。今日もあのお母さんからの電話だ。

 

 部活動の指導を終えて、職員室に戻ってくると、早速教頭から声がかかった。

 

「田坂先生、また鈴木さんのお母さんから電話だよ。今日は落ち着いてるかな」

 

 教頭の目が、僕を心配そうに見つめている。今週、すでに3回目の電話だった。前任の先生のお申し送りに送りに寄れば「ちょっと心配性かな」とは言われていた。だが、今年に入り、日に日に電話の回数も増えてきた。

 

 立派なモンスターペアレンツである。

 

 それにしても思う。意気揚々とこの学校の門をくぐったのは、1年前。大学在学中に受験した教員採用試験に合格し、僕はこの市立青山中学校に赴任した。ところが、僕を待っていたのは生意気な中学生の洗礼だった。うざいだ、きもちだとののしられ打ちのめされた1年目。副担任として、なにもできなかった僕のプライドはズタズタだった。

 

 こうして迎えた2年目の今年、僕は初めて中学校2年生の学級担任になった。

 

 子どもたちも2年目、僕も2年目。同じ2年目同士仲良くやれればいい。そう思っていた。ところが、現実は甘くはなかった。「学校の先生」という仕事が、こんなにも心を削る仕事だとは思わなかった。

 

 今、僕の心を一番悩ませるのは、この、鈴木幸子の母親だった。

 

「もしもし、お電話を変わりました。田坂です」

「先生、いいですか?あのね…」

 

 始まった。こうして毎日、自分の思っていることを一方的に話し続けるのだ。自分の子がいかに優れているか、そして僕の対応がいかに気に入らないか。ときに興奮してまくしたてる。僕も一生懸命説明するのだけれど、この母親ときたら、全然わかろうとしないのだ。聞く耳をもたないというのだから仕方がない。

 

 夕方の貴重な時間が、どんどん失われていく。今日は30分で終わるだろうか。1時間はかかるまい。適当に相槌を打ちながら、話を聞くこと40分。時計をチラリと横目に見る。

 

(もう7時か…。今日も遅くなるなぁ)

 

僕はうんざりしていた。ようやく電話を切ることに成功すると、1日の疲れがどっと出て、深いため息をついた。

 

「鈴木さんのお母さん、なかなか大変だね」

 

 優しい声色とともに、僕は肩をポンと叩かれた。ふと我に返り振り向いた。

 

 ハテンコー先生だ。葉山典之先生、人呼んで「ハテンコー先生」。子どもたちは、彼をおもしろがってそう呼ぶ。40歳ぐらいだろうか。僕から見ると、「普通のおじさん」にしか見えないのだけれど、これで子どもたちからの信望はなかなか厚い。

 

 この春転任してきたというのに、もう子どもたちの心をつかんでいる。2年目の僕にとっては、それはそれは悔しく思っていた。

 

 僕の方が若くて、子どもたちとの年齢も近い。話題だって合うはずなんだ。だけど、全然ダメ。彼らは僕をナメてかかっている。それで叱ろうものなら、またヘラヘラしている。まったく、今どきの中学生たちときたら、そもそも言葉遣いからしてなっていない。どんな育て方をしたら、あんな風に育つのだろう。親も親なら、子も子だ。

 

 ところが、ハテンコー先生の前では違う姿を彼らは見せる。若い僕の前と、ベテランの前では態度を変えるなんて、なんてズルいんだろう。

 

 だから、僕はこの先生のことが好きではない。

 

「今日は40分か。お母さん、どうだった?」

 

そう尋ねるハテンコー先生に、僕はぶっきらぼうに答えた。

 

「ええ、今日も好き勝手なこと、言ってましたよ」

 

「そうか…、田坂くんがそうやってお母さんの話を聴いてあげてくれて、鈴木さんのお母さんも救われていると思うよ。ありがとうね」

 

 「ありがとう」だなんて、この先生に感謝されるようなことは何もしていない。僕には、この先生の言っていることの意味がわからなかった。それに、僕がお母さんを救う?何を言っているのだろう。

 

「子育てって正解がないから、だれもが手探りなんだよね。だれもが不安を抱えている。そんな不安をぶつける先の一つが学校なのかもしれないね」

 

僕は、ますます困惑した。

 

「先生、それじゃあ僕らに親の不満のはけ口になれってことですか?」

 

 彼は、職員室の椅子に腰掛けると、僕にコーヒーの入ったマグカップを手渡した。淹れたてのいい香りがする。

 

「いいかい?僕らとお母さんは、敵同士じゃない。店員とお客さまの関係でもない。なんだと思う?」

 

「なんなんですか?」

 

ハテンコー先生は、ニッコリ微笑んでこう言った。

 

「僕らはね、子育てのパートナーなんだ。一緒に子どもを育てていくんだよ」

 

 パートナー?何を言っているのだろう。僕の仕事の時間を奪う、あのお母さんをパートナーだと思えと言うのだろうか。僕からしてみれば、邪魔者でしかないあの親を。

 

「先生、あんな親をパートナーだと思えって言うんですか?パートナーなら、こっちの都合も考えて電話をしてきてほしいですよ」

 

 僕は、だんだん腹が立ってきた。だけど、ハテンコー先生は顔色一つ変えずにこう言った。

 

「変えられるのは自分だけだからさ。こちらがパートナーだって思うだけで、お母さんとの関係はずっとよくなるんだよ」

 

「こちらがそう思ったって、向こうが変わらなきゃ意味がないじゃないですか?」

 

僕はムキになって反論した。周囲の先生たちの視線を感じた。

 

「そうだね。田坂くんは、鈴木さんのお母さんにどうなってもらいたいの?何を望むの?」

 

「そりゃ、こんな風に電話をかけてくるのをやめてもらいたいですよ。週に何度も電話をかけてこられたら迷惑です」

 

ハテンコー先生は、深くうなづいた。

 

「そうだね、大変だよね」

 

「僕だって早く帰りたいですよ、ハテンコー先生みたいに」

 

 ちょっと嫌味だったかもしれない。この先生は、夕方になるとだれよりも早く帰るのだった。

 

「そうだね、早く帰りたいよね。お母さんからの電話の嵐が収まるといいよね」

 

「えぇ、そうです」

 

すると、またニッコリ微笑んでこう言った。

 

「じゃあさ、そのためにはどうしたらいいと思う?田坂くんには何ができる?」

 

僕にできること?あんなモンスターペアレンツ相手に何ができると言うのだろう。

 

「僕になにができると言うんですか?僕にできることなんて何もありませんよ」

 

「でも、それじゃ、何も変わらないじゃない?電話だって、きっと鳴り続けるじゃない?」

 

たしかにそれはそうなのだ。何もしなければ、この電話は続いていくだろう。そんな生活はうんざりだ。

 

「じゃあ、ハテンコー先生には何か考えがあるんですか。そんなやり方があるなら教えてくださいよ」

 

 さあ、ベテランのご意見を聞こうじゃないか。僕はようやく聞く耳ももつことにした。ところが、彼から明確な回答を得ることはできなかった。

 

「うん、でもそこは田坂くんがたどり着くべきなんだよね」

 

「どういうことですか?」

 

なんだ、偉そうなことを言っておきながら回答をもっていないだけじゃないか。

 

「そもそもお母さんは、なんで電話をかけてくるのだろう?」

 

 そんなの僕のやり方が気に入らないからだろう。なんだ?それじゃあ悪いのは僕ということか?僕が悪いだって?今日だって40分も話を聴いてやったのだ。それなのに、あの親ときたら、まったく歩み寄ろうとする気すらないじゃないか。それなのに、変わるのは僕の方だと言う。まったく馬鹿げている。こんな先生と話していても時間の無駄だ。

 

「なるほど、僕が悪いんですね。わかりました。以後、気をつけます」

 

 強引に僕は話を打ち切ると、なんとなく気まずくて目を合わせることなく席を立った。教頭先生が遠くで心配そうに見つめている。なんだか、急に周囲の視線が離れていく感じがした。僕は気づかぬフリをして職員室を出た。

 

 職員室の小窓から中をチラリ、のぞき見た。ハテンコー先生はマグカップに視線を落としたまま、じっと動かずにいた。反省するがいいさ。僕は悪くない。

 

 

第2話 だれもわかってくれない

 部活動の練習も、だんだん熱気を帯びてきた。初夏を迎え、少しずつ陽も長くなってきた。夏、中学校3年生は最後の公式戦を迎える。僕はテニス部の顧問をしている。なにぶん、テニスは素人の僕だけど、子どもたちはよく僕の言葉に耳を傾けてくれたいた。この夏は、少しでも結果を残してあげたいところだ。

 

 指導を終えて職員室に帰ると、教頭が受話器を片手に頭を下げている。受話器の前で頭を下げたって、相手になんて見えやしないのに。ところが、電話の相手が例の鈴木のお母さんだと知って、申し訳ないやら腹立たしいやらと複雑な気持ちになってしまった。

 

 僕は、電話を代わることになるだろうと思って、自分の席に座って教頭の様子を眺めていたが、ついぞや声をかけられることなく、受話器は置かれた。ホッと安堵したの半分、なんだか蚊帳の外に置きやられた気持ちも半分といったところだ。それで僕は、教頭のもとへ歩み寄った。

 

「教頭先生、あのお母さん、今日はなんて言ってたんですか?」

 

教頭は、少しバツの悪そうな表情で、

 

「う~ん、まぁなんというかな。田坂先生の対応についてね…」

 

僕は思わず、「対応を何て言ってたんですか?」と強い口調で尋ねた。

 

「まぁ、いろいろ言ってたから。まぁ、もうちょっとよく自分のところの子を見てほしいってことかな」

 

「ちょっと待ってください。僕は、しっかり見てますよ」

 

 僕は無気になって答えた。大人気ないのはわかっていた。けれど、まるで僕に落ち度があるような言い方ではないか。ましてや、そんな話を一方的に教頭にする。言いたいことがあるならば、僕に言えばいいのだ。

 

「あっ、ハテンコー先生はどう思われます?」

 

教頭が尋ねた。なぜ、こんな先生に尋ねるのだろう。

 

「そうですね…。田坂くんさ、今日は鈴木さん、どんな様子だったの?」

 

「どんなって、いつもと変わらないですよ。僕だってよく見てますよ。でも、いつもと同じですよ」

 

「う~ん、いつもと同じってのは、どんな感じなわけ?」

 

「友だちとだって楽しくやってますよ。あのお母さん、過保護なんですよ。家に帰ると、学校がつまんないとか友だちとうまくいってないとか言うんだそうです。でもね、学校じゃそんな姿、まったく見せませんよ」

 

事実、彼女は学校では実に楽しそうに過ごしていた。孤立しているとか、ましていじめられているような姿はまったく見られなかったのだ。

 

「そうなんだね。じゃあ、その様子をお母さんに伝えたのかな?」

 

「伝えましたよ、もちろん」

 

何を当たり前のことを聞いてくるのだろう。僕を馬鹿にしているのだろうか。

 

「お母さん、心配しすぎですよ。学校ではちゃんといつも通りにしてますよって、伝えましたよ」

 

「それで、お母さんは何て?」

 

「子どものことがわかってないなんて言うんですよ。もう腹が立っちゃって…」

 

ハテンコー先生は、教頭の方をチラリと目配せした。教頭は困ったような顔をしている。この人は、教頭まで出世したというのに、なんとも頼りない先生だと思う。こういう人が、いずれ校長になるのかと思うと、心配にもなる。

 

「でもさ、家で鈴木さんはお母さんにそうやって話すんだよね。学校がつまらないとか友だちとうまくいってないって話をするわけだよね?そりゃ、お母さんだって悩むよな」

 

「ハテンコー先生、何言ってるんですか。どうせ親の気を引こうとして、甘えてるだけですって。学校じゃそんな様子はないんですから」

 

「取り越し苦労なら、全然いいさ。でも、もしもってこともあるわけだし。もうちょっとじっくり話を聴いてあげてもいいんじゃない?」

 

 ハテンコー先生は、両方の手のひらで包み込んだマグカップに視線を落とした。

 

 この先生には、こうやって毎日のように電話がかかってきたことなどないのだろう。だから、電話対応をする僕の気持ちなどわからないのだ。じっくり話を聴いてあげる?もう十分聞いているさ、同じような話ばかり。これ以上、何を聞けばいいというのだ。

 

「それで、鈴木さんとは話をしたの?」

 

教頭が尋ねてきた。

 

「いや、してないですよ。だって変じゃないですか」

 

「何が変なの?」

 

ハテンコー先生も続く。

 

「だって、鈴木はいつもと変わらないんですよ。何の話をしろと言うんです。お母さんが勝手に心配しているだけですから」

 

僕はいいかげん話をするのが嫌になってきた。そのうえ、次の言葉に僕の堪忍袋の緒は切れてしまった。

 

「何を話していいのかわからないなら、僕が鈴木さんと話をしようか?」

 

たいした経験もないくせに、しゃしゃり出てくるハテンコー先生を苦々しく思った。あなたは所詮、副担任だろ?僕は今、学級担任なのだ。

 

「何言ってるんですか?僕のクラスの生徒ですよ、余計なことはしないでください」

 

僕は、そう言うと、早々に話を切り上げて、廊下に出た。よってたかって僕を悪者にしようとしているのだろうか。なんて息苦しい職員室だと思った。

 

 

第3話 よく見るということ

 何が違うというのか。

 

 休み時間が始まると、僕はパイプ椅子に腰掛け、教室の子どもたちを眺めていた。いつもと何も変わらない風景が広がっていた。友だち同士で談笑する姿。数人は、教科書やら参考書やらを開いて勉強をしている。その後ろで騒がしくしている男子たち数人が突っつきあっていた。

 

 ふと、幸子のことが気になった。彼女は今、どうしているだろうか。教室にはいなかった。

 

 果たして、彼女は廊下の掲示物を眺めていた。なんてことはない廊下の掲示物である。国語の時間に書いた詩が掲示されていた。

 

 廊下に出た僕と一瞬だけ目が合ったのだけれど、すぐに彼女は視線を掲示物に戻した。ただ、なんとなく声をかけなければという気がした。何と声をかけていいのかわからないけれど、僕は一歩だけ彼女の方に足を向けた瞬間だった。彼女は私に背を向けると、後ろの扉から教室の中へと消えた。

 

 声をかけるタイミングを失った僕は、それとなく彼女が眺めていた掲示物に目を移した。そこには、とりたてて上手いわけでもないクラスメイトの詩が掲示してあるだけだった。

 

「田坂先生」

 

僕を呼ぶ声がして振り返った。声の主はハテンコー先生だった。

 

「どう思う?」

 

「どう…って、何がですか?」

 

ハテンコー先生が、幸子のことを話題にしているのは明らかだった。けれど、僕はその話題を避けたくて、わざと気づかぬふりをしたのだった。

 

 けれど、彼は構わず話し続けた。

 

「鈴木さん、最近一人でいることが増えたよね」

 

「そうですか?今の時間はたしかに一人でしたけど、普段はみんなといますよ」

 

そう、今日はたまたま一人だっただけだ。だれだって一人で過ごしたいときもあるだろう。それをいちいち孤立と思っていたら、みんな孤立していることになってしまうじゃないか。

 

「鈴木さんね、いつも自分からみんなの方に声かけに行くじゃない?前まではさ、みんなの方から寄っていっていたよね」

 

「…そうですか?」

 

「廊下で見てて思うんだよね。理科室とか音楽室とか他の教室に行くのも、一人のことが増えたなぁって」

 

僕は、何も言葉を返せなかった。そうだともそうでないとも言えなかった。なぜなら、見ていないから。

 

「教室の姿ってさ、先生の目があるから、子どもたちもそれなりに気を使うんだよね。そうじゃないときをよ~く見てごらんよ。たとえば、今の休み時間の姿とかね」

 

そういうと、ハテンコー先生は優しく微笑んで、僕の教室へと入っていった。次の時間は国語。ハテンコー先生の授業だった。

 

 

第4話 彼女のことを本当は知らない

 ハテンコー先生は「よ~く見てごらん」と言った。僕は、だんだん「見る」ということがわからなくなっていた。僕の「見る」とハテンコー先生の「見る」は何が違うのだろうか。

 

 教室で見ている彼女をだれかがいじめているなんてことはなかった。孤立しているような様子もない。休み時間になると、同じクラスの田中さんのところに駆け寄っていって、おしゃべりをしている。どちらかといえば、田中さんの方がこれまで孤立していることが多かったぐらいだ。

 

「何か見えたかい?」

 

ハっとして振り返るとハテンコー先生がいた。

 

「いや…、見てください。今だって、楽しそうにおしゃべりしていますよ」

 

そうは言ったものの、僕はすっかり自信がなくなっていた。

 

「田中さんと仲よかったんだっけ?どんな会話をしてるんだろうねぇ。田中さんにそれとなく聞いてみるといいよ」

 

そう言うと、ハテンコー先生は足早に職員室へ続く廊下を歩いていったのだった。

 

 その日の放課後、下校する田中さんを捕まえて声をかけた。

 

「あっ!田中さん、ちょっといい?」

 

田中さんは一瞬怪訝そうに眉をひそめ、面倒くさそうに応えた。

 

「なんですか?急いでいるんですけど…」

 

なかなか突起にくい性格で、これまでもよく孤立してきた子だった。鈴木は、この子とどんな話をするのだろう。

 

「いや、最近、幸子と仲良くしてるな~と思ってさ」

 

すると、彼女はきっぱりと言った。

 

「仲良くなんかないですよ」

 

僕は、思わず背筋を伸ばした。

 

「どうして?今日だって一緒にお話してたじゃない?」

 

「あの子が一方的に話をしてきただけです。私は本を読みたかったのに。何読んでるの?とかしつこく聞いてくるんです」

 

僕はますます混乱して、どう言葉をかけていいのかわからなかった。

 

「先生、もういいですか?見たいアニメがあるんです」

 

「あぁ…、うん。さようなら…」

 

 彼女は僕を押しのけるようにして通り過ぎた。僕は彼女を目で追うことすらできなかった。ふと、校舎の窓ガラスに映る自分の顔に目をやった。

 

 なんとも間抜けな顔をした男がそこには映っていた。

 

 

第5話 問いが生まれれば、答えは見つかる

 「見るってのは難しいよ。僕らは自分の見たいように見てしまうんだ。いじめはない、そう思うと、そういうフィルターで見てしまう。人間ってのはさ、自分に都合よく見てしまうんだよ」

 

ハテンコー先生は、浅く椅子に腰掛けていた。マグカップを両手で包み込みながら、優しく微笑んだ。

 

「僕はどうしたらいいんでしょうか?」

 

僕はか細い声で尋ねた。もう後戻りができないような気がしていた。

 

「明日もう一度、フラットな気持ちで見てごらん。いじめがある、孤立している、そんなフィルターも要らない。鈴木さんはだれといる?どんな表情してる?よ~く見てごらん」

 

「よく見るってメモとか取った方がいいですか?」

 

僕は藁にもすがる想いだった。

 

「メモなんか要らないよ。ただ見る。そして感じる、気づく。これが大事ね」

 

「感じる、気づく、ですか…」

 

「そうだよ。フラットな気持ちで子どもをよく見る。その行動や表情から、感じるのね。気づくのね。見て、感じて、気づく。これは基本の基だね」

 

 僕は、何も感じていなかった。だから、なにも気づけなかったのだ。恥ずかしくて仕方がなかった。

 

「いいかい?そして、自分に問いかけるといい。彼女が抱えている痛みは何だろう。そう問いかけるの」

 

「彼女ではなく、僕自身に問いかけるのですか?」

 

「そうだよ、自分自身に問いかけるの?問いが生まれれば、答えは見つかる。いいかい?いつだって変えられるのは自分だけさ」

 

 僕は今日までそんなことを言われたことはなかった。いつも、子どもを変えようとしていた。それが先生の仕事だと信じていた。

 

「変えられるのは、自分だけ…」

 

そう独り言のようにつぶやいた。僕はまだやり直せるのだろうか。

 

「最初からうまくいくヤツなんていないさ。悩んで学んで一人前になるんだ。悩まないヤツに未来はないよな」

 

 僕は何を言っていいのかわからなかった。返す言葉すら見つからず、ただ、膝の前で組んで手の平を見つめていた。ハテンコー先生が後を引き取った。

 

「楽しいよなぁ、学校って。いろんなことがあってさ」

 

そういうと、ハテンコー先生をカバンをもって職員室を足早に出ていった。いつもはだれよりも早く帰るのに、今日は珍しく遅い時間までいたことになる。

 

 

第6話 子供のことから逃げるな

「なぁ、幸子さぁ、なんか困ってることがあったら教えてくれないかな?なんでも力になるからさ」鈴木幸子はびっくりした顔をしている。

 

「何ですか急に?お母さんが何か変なこと言ったんじゃないですか?」

 

「えっ…、そういうわけじゃないけど」

 

「私、大丈夫ですから」

 

そういうと、彼女は足早に教室へと向かった。理科室からの帰り道を捕まえて、話を聞こうと思ったのだけれど、どうも彼女は僕に話をする気などないらしい。

 

 その日の放課後、鈴木のお母さんから電話がかかってきた。だが、僕につながることはなかった。教頭先生がまた電話口の前でひたすら頭を下げていたのだ。僕は部活動のテニスウエアに着替えたまま、所在なく職員室の自席でぼんやりとその様子を眺めていた。

 

 すると、背中をポンと叩かれた。隣で椅子のきしむ音がした。

 

 「どうだった?鈴木さんは。今日、話を聞いてたみたいだけど」

 

ハテンコー先生は、僕にコーヒーカップを手渡して尋ねた。

 

「本人は、何もないって、大丈夫だって」

 

「それで?」

 

「だけど、理科室に行くときも、体育の時間に行くときも一人なんです。それに、休み時間も田中と一緒にいるんですけど…」

 

「ですけど?」

 

「幸子と田中って、趣味や性格が合うようにも見えなくて。田中も幸子が寄ってきて面倒臭い、みたいなことを言ってたんです」

 

「そうか…。鈴木さんと仲が良かったのってだれなの?」

 

「山下と加藤です」

 

山下由香里と加藤愛。二人とも活発で発言力のあるタイプだった。ハテンコー先生は視線をマグカップに落とすと、何やら考え事をしている様子だった。

 

「う~ん…、どうしようね?」

 

ど…どうしようね…。僕にはどうしていいかわからなかった。すると、職員室の前の方から教頭先生の呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「お~い、田坂くん。それにハテンコー先生もちょっといいですか?」

 

僕はハテンコー先生について、教頭先生のところへ行った。初夏のグラウンドは、陽がまだ長く部活動に汗を流す子どもたちの元気な声が響いていた。

 

 「今ね、鈴木さんのお母さんから電話があってね。やっぱり鈴木さん、学校でのことでだいぶ悩んでるみたいなんだよね。ただ…、田坂先生、今日幸子さん本人と話をしたんだって?」

 

「えぇ、まぁ…。話をしたというほどの話はできてないんですが。困ったことはないかと声をかけました」

 

「そう…」

 

教頭先生は次の言葉を探るように、お茶を口に含んだ。

 

「あのね、幸子さん自身がちょっとその…、なんていうのかな?突然、声をかけてきて、心配してくれるのはうれしいけど、かき回されたくない、というか…、その…」

 

僕はそこまで聞くと、またイライラした気持ちが沸き起こってきた。。

 

「ハッキリと言ってください」

 

「えっ⁉︎いや…、まぁ、それはね…」

 

教頭先生は、僕に気を遣ってくれたのだろう。早い話が、僕ではダメだってお母さんは言ったのだと思った。

 

「それでね、ハテンコー先生。なんとか、先生に指導を引き継いでもらえないかな…と思いまして」

 

 僕は背中を丸め、今にも泣き出しそうな気分だった。戦力外通告、僕にはそう聞こえたのだ。けれど、ハテンコー先生はきっぱりとこう言った。

 

「お断りします」

 

僕は、目を丸くしてハテンコー先生の方を見た。いつも穏やかな彼が、いつになく語気を強めて言ったからだ。

 

「これは、彼のクラスで起きた問題です。田坂先生が自分自身の力で解決しなくて、本当の意味で独り立ちできるでしょうか?我々が本来すべきは、田坂先生をサポートして、この課題を解決することではないですか?」

 

教頭先生も目を丸くしている。

 

「なぁ、田坂くん。君は一生、生涯をかけてこの仕事をしていくのかい?」

 

「当たり前じゃないですか」

 

僕は、思わず大きな声で答えてしまった。職員室中の視線が僕の背中に集まったのを感じて、言ってしまってから、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

 

「一生やっていくつもりなら、この課題は自分で解決するんだ。できるだろ?」

 

僕にできるだろうか?どうしたらいいのか、考えもつかなかった。だから、急にか細い声でこう答えた。

 

「僕にできるでしょうか…?」

 

 すると、ハテンコー先生はいつもの穏やかな表情で僕に語りかけた。

 

 「だれだって、最初からうまくできるわけじゃないさ。失敗して失敗して、そのたびに自分の問題として変わり続けられた人間だけが本物の先生になれるんだよ。目の前で苦しんでいる子どもがいる。うまくいく、いかないは別問題として、そこから逃げたらさ、もう君は先生じゃないんだよ」

 

僕は、まっすぐなハテンコー先生の視線から目をそらさずに耳を傾けた。最後にハテンコー先生は、にっこり微笑んでこう言った。

 

「さあ、鈴木さんをハッピーにしようか?」

 

「はい!」

 

僕は一層、大きな声で返事をすると、また職員室中の視線を集めることになった。けれど、僕の背中には、もう嫌な汗はなかった。

 

 その後、僕はテニス部の練習を指導していた。子どもたちと汗を流すのは気持ちがいいものだ。抱えた不安な気持ちを吹き飛ばすように、僕はラケットを振り続けた。夏の大会も近づき、どの部活動も練習に熱を帯びている。気がつくと、もうすっかり陽が落ちてしまっていた。

 

 子どもたち帰宅させて職員室に戻ると、こんな時間でも珍しくハテンコー先生は職員室の電話で、なにやらお話をしていた。ハテンコー先生といえば、だれよりも早く帰宅することで有名だった。

 

第7話 人間関係は鏡

 出勤すると、もうハテンコー先生はせっせとパソコンに向かって仕事をしていた。だれより早く帰るハテンコー先生だが、実はだれよりも早く来て仕事をしているらしい。いわゆる朝が得意なタイプなのだろう。

 

 「先生、今日なんですけど、どうしたらいいですか?」

 

ハテンコー先生は、パソコンから目を逸らさずに、言葉を返した。

 

「あ~、田坂くん、おはよう」

 

「えっ…、あっ…、おはようございます」

 

「ん~とね、田坂くんはどうしたいの?」

 

「どうしたい?」と聞かれて、僕はドキッとした。僕自身どうしていいかわからなかったし、答えは教えてもらえるものとばかり思っていた。

 

「あの…、え~っと…」

 

答えを窮している僕の気持ちを知ってか知らずか、パソコンを打ち続ける音だけが鳴り響いていた。ハテンコー先生は、パソコンのモニターを見つめたままだった。

 

「まず…」

 

「まず?」

 

「話を聞きます」

 

「だれから?」

 

「えっと…。鈴木から…」

 

「だれが?」

 

「えっ⁉︎それは僕が…」

 

「あのさ、子どもの気持ちに立って、考えてみてごらんよ。先生が鈴木さんから話を聞いたら、この前と同じことにならないかい?」

 

 この前…、そう、僕は先日彼女を捕まえて話しかけたのだった。だが、明らかに彼女は拒絶していた。そして、僕にかき回されたくない、そう言ったのだった。

 

 「話を聞くべき相手は他にもいないかい?」

 

この件に関係している生徒…。

 

「山下由香里と加藤愛ですか?」

 

「そうだよ。二人だって、先生のクラスの子でしょ。ちゃんと話を聴いてあげて。鈴木さんには僕が声をかけるからさ」

 

「それで、二人にどんな話をしたらいいんでしょうか」

 

僕は、どんどん情けない気持ちになってきた。そんなことすら尋ねないとできないんて。ようやくハテンコー先生は僕の方に視線をやった。そして、穏やかに微笑むとこう言った。

 

「そうだな。あくまでも雑談から、軽い感じで入るといいよ。とにかく聴くこと。フラットな気持ちで聴くんだよ。どちらが悪いと、ジャッジを挟んじゃダメだよ」

 

「どうしてですか?」

 

「子どもたちってね、すごく敏感なの。田坂先生が、自分たちの味方だって思えるまではなかなか心を開かないからささ。だから、ちょっと遠回りでもいいから、まず味方であることを示す。そして、心を傾けて聴くんだね」

 

心を傾けて聴くことはただ「聞く」のとどう違うのだろう。僕はそこのところを尋ねた。

 

「いいかい。人間関係ってのは鏡のようなものさ。こちらが壁をつくれば、向こうも壁をつくる。こちらが心を開けば、向こうも心を開く。シンプルにできてるんだよ。だから、相手をジャッジしないで、すべてを受け入れていくんだ。そういう気持ちで聴いてごらん」

 

 

第8話 勝ち負けではなく引き分けがいいのです

 その日、山下由香里と加藤愛の二人を相談室に呼んで話を聞いた。最初こそ、あまり話たがらない様子だったけれど、次第に打ち解けた雰囲気になってきた。彼女たちの話はところどころ腑に落ちないところもあった。けれど、深く追求せずに、ただただ話を聴き続けた。

 

 彼女たちの言い分はこうだった。

 

「加藤には好きな男の子がいた。そのことは加藤、鈴木、山下の3人だけの秘密だった。けれども、鈴木がそのことを同じクラスの男子の橋本に話してしまったらしい。橋本からLINEでそのことを聞いた山下は、加藤に伝えた。それが原因で二人は鈴木から離れた」

 

 なんて、くだらない話だ。僕は、こんなくだらないことで振り回されていたのかと思うと、腹立たしい気持ちになった。なんだ、それじゃあ悪いのは、鈴木本人じゃないか。自業自得だろ?自分で原因をつくっておいて被害者ヅラするなんて。

 

 僕は、一度二人を部屋に残して職員室に向かった。職員室では、教頭先生とハテンコー先生が僕を待ち受けていた。彼は、鈴木本人からも話を聴いているはずだった。

 

 「今、だいたいの話はわかりました」

 

 「うん、ご苦労様。それで何て?」

 

教頭先生は、僕の話を急かすように声をかけてきた。

 

 僕は、二人から聞いた話を報告すると、「悪いのは鈴木本人ですよ」と付け加えた。

 

 すると、ハテンコー先生は、少しだけ鋭い目つきになってこう言った。

 

「いいかい?物事にどちらが悪いなんてことはないんだよ。生徒指導は勝ち負けを決めるんじゃないんだ。いつだって引き分けがいい。これは覚えておいてな」

 

僕には、それが何を意味するのかわからなかった。勝ち負けではなく引き分け。どういうことだろうか。どちらが悪いかをハッキリさせて、悪い方を指導する。それでいいんじゃないのか。

 

 「あの…、それで鈴木の方は何て?」

 

「うん、だいたいは二人が話していた内容と同じかな。ただね、加藤の好きな男子ってのが松ちゃんなんだとさ」

 

「松ちゃん」こと松本武志は、男気あふれるタイプの男子生徒で人望も厚い。だが、女の子とはめったに口をきかないような硬派な一面があった。以前、チョコレートを渡そうとした年上の女の子がいたのだが、「そんなもん、いらない」と言ったためにトラブルになり、先輩に呼び出されることがあった生徒だった。

 

「でね、その松ちゃんとの仲を取り持ってあげたくて橋本くんに相談したんだとさ。橋本くんって松ちゃんと仲がいいだろ?」

 

「あ~、なるほど」

 

松本と橋本は、二人ともサッカー部に所属しており、たしか小学校も一緒だった。硬派な松本に対して、どちらかと言えば軟派な橋本。とてもバランスのよい二人で、たしかに女の子たちからも人気があった。

 

 「それでな、それをうっかり、橋本くんはが山下さんに話しちゃったんだとさ。あ~、これは橋本くんに聞いたんだけどね、鈴木さんが相談してきたぐらいだから、山下さんも知ってるんだと思ったんだとさ」

 

なんだか、だんだん事件の全貌が見えてきた。

 

「つまりさ、だれも悪意はないのよ。鈴木さんは加藤さんの恋を実らせてあげようと思ったわけだし、橋本くんは山下さんに相談したわけだ。で、山下さんも加藤さんを気遣ったってわけね」

 

「えっ…、じゃあだれも悪くないんですか?」

 

「だから、引き分けでいいの。あとは、どうやって火を消すか、もつれた糸をほぐすか。それを考えるだけなんだ。だれかを犯人にしていくのは難しくないよね。好きな人をバラした鈴木さんが悪い!って見方もできる。軽率に山下さんに話した橋本くんが悪い!と言えなくもない。山下さんがわざわざ加藤さんに告げ口をしなければこうならなかった、とも言える。そもそも、だれにも言わないでよ、なんて口約束が成立すると思っていた加藤さんを責めることもできる。いやいや、女の子の心を奪った松本くんが悪いのかもしれない」

 

「な…、なんですか?それは」

 

「つまりさ、犯人探しをスタートすると、だれもハッピーにはならないのさ」

 

「だから、引き分けがいいということですね」

 

「そういうことだね」

 

第9話 だれも悪くない

 相談室に3人の女の子が座っていた。加藤と山下、それと対峙するように鈴木。顔を合わせてからもう30分は過ぎただろうか。僕はイライラしていた。まったく話が進まないのだ。

 

「なあ、3人とも何とか言ったらどうだ?黙ってたってわかんないだろ!」

 

僕は怒声をあげた。

 

「何を話すんですか?」

 

加藤が反抗的な目で僕の方をにらんできた。それで僕はますますイライラした。だれのために時間をとっていると思ってるんだ。

 

「だから、何度も言ってるじゃないですか!3人だけの秘密って言ってたのに幸子が橋本にバラしたんです。それで話をしなくなったんです」

 

「それは何度も聞いた!で、お前たちはどうしたいんだ?」

 

「どうしたいって、何をどうするんですか?」

 

「えっ…、だから…、その…」

 

僕は口ごもってしまった。こんな堂々めぐりのような会話が続いていた。ハテンコー先生からはそれぞれの言葉を引き出すといいよとアドバイスされていた。それで話し合わせようとするのだけれど、どうも上手くいかない。

 

 僕は、何度も後ろに座るハテンコー先生に視線をやった。けれど、ハテンコー先生ときたら、聞いてるんだか聞いていないんだか、ぼんやり手の平を見つめていた。僕の背中には嫌な汗が流れていた。

 

 「先生、もういいですか?私たち部活があるんです。もうすぐ大会だし。話すことなんて何もありません」

 

加藤は、そう言うと立ち上がろうとした。すると、ハテンコー先生はようやくその重い腰をあげると、フラフラと3人の方に歩みを進めた。

 

「あぁ、そうか。もうすぐ試合だったね。今年のバスケ部はいい感じらしいじゃない?」

 

「えっ…⁉︎そうですけど…」

 

加藤は困惑した表情を浮かべた。

 

「で、3人とも試合には出られるの?2年生なのにさ」

 

黙っていた山下が口を開いた。

 

「あの…、愛は上手いから3年生に混じって試合に出ることもあるんですけど、私たちは…、ねえ?」

 

思わず視線を合わせた鈴木が、驚いたような表情でうなづいた。3人の間にハテンコー先生は腰を下ろすと、さも驚いたように話し始めた。

 

「へ~っ、そりゃすごいね。ウチのバスケ部って強いんだろ?」

 

「えぇ、まあ…」

 

加藤の表情が少しだけ柔らかくなったような気がした。ハテンコー先生は、相変わらず穏やかな表情のまま話を続けた。

 

「こうやって、3人そろって話すのっていつ以来だい?」

 

 山下が少しふれくされた表情で口を開いた。

 

「あの、さっき田坂先生に話した事件があってからは3人で話していません」

 

「そうか。じゃあ、そのことについても話し合ったりしてないの?」

 

「はい…」

 

山下は小声で答えた。

 

その間、加藤は鈴木をにらみつけ、当の鈴木は俯いたままだった。

 

「そうなんだ…。別に仲良くしろ、とは言わないけどさ、もつれた糸がもつれたままだとモヤモヤしないかい?」

 

ハテンコー先生は、穏やかに声をかけた。すると、加藤が怒気をはらんだ声色で口を開いた。

 

 「なんで、あんなこと言ったのかなって思う。親友だと思ったから話したのに」

 

「加藤さんは、何て聞いたの?」

 

微笑みながら尋ねた。

 

「橋本が知ってるって、私の好きな人のこと。幸子がバラしたって。信じてたのに」

 

そう話すと彼女は目に涙を浮かべた。

 

「そうなんだ。裏切られた気持ちだったのかな?」

「ううん、裏切られたってのもあるけど、なんだか悲しくなっちゃって。小学校のときからずっと親友で、それなのにこんなことになって」

 

「そうか。ずっと親友だったんだもんね。悲しい気持ちになったんだね」

 

ハテンコー先生は、終始穏やかな表情を浮かべていた。加藤はポロポロと涙をこぼした。

 

「鈴木さんに、そのこと、聴いたの?何で話したのって」

 

加藤は首を横に振った。僕は(親友だったら聞けばいいじゃないか?なんで聞かないんだ。そんなの親友っていうのか)と思った。最近の子どもたちというのは、よくわからない。僕と年齢は10歳も変わらないけれど、ずいぶんとジェネレーションギャップを感じる。

 

 ところが、ハテンコー先生ときたら、また穏やかな声でこう言うのだ。

 

「そうかぁ…。鈴木さんとの仲が完全に壊れてしまうのが怖かったからかな?」

 

加藤は静かにコクリとうなづいた。鈴木も黙ったまま涙をこぼしていた。

 

「だそうだよ、鈴木さん。鈴木さんの今の気持ちを教えてくれる?」

 

 鈴木はうつむいたまま鼻水をすすった。両手を膝の上で重ねたまま、黙っていた。正直僕はイライラしていた。鈴木のせいで、こういうことになったのだ。それなのに泣いていたら、話が進まないじゃないか。だが、ハテンコー先生も同じように黙っていた。それで僕は「鈴木、黙っていたってわからんぞ」と言おうとした。

 

 「鈴木、黙っ…」

 

「あっ、いいからいいから。田坂先生。もうちょっと待ってあげてね」

 

ハテンコー先生が口を開いた。

 

「鈴木さん、僕はね、あなたを責めようとは全然思ってないのね。ただ、あなたの気持ちをわかりたいだけなんだよね」

 

そう言うと、ニッコリ微笑んだ。すると、鈴木はか細い声で話し始めた。

 

「ごめんなさい…。そんなつもりじゃなかったのに…」

 

加藤はにらむような表情で、言葉をつないだ。

 

「そんなつもりじゃないって、じゃあどんなつもりだったのよ」

 

「どんなつもりって…。愛が松ちゃんとうまくいったらいいのになって思って、それで…」

 

「幸子は、橋本と仲良くなりたかっただけでしょ?」

 

どうやら、鈴木は橋本のことが好きで、加藤は松本が好き、という構図らしい。

 

「うん、それで4人で遊びに行けたらなって思ったの…」

 

終始黙っていた山下がはじめて口を開いた。

 

「だけど、結局それって3人だけの秘密をバラしたってことだよね。それを愛は怒ってるんだよ」鈴木は、また黙り込んでしまった。すると、部屋の空気はどんより重たくなった。その場にいる全員が深刻な表情を浮かべていた。僕も、なんだか気が滅入りそうだ。だが、この人だけはずっと穏やかな表情でニコニコとしている。どういう神経をしているのだろう。

 

「橋本くんとは話をしていないんだよね?」

 

言葉を向けられた加藤は、黙ってうなづいた。

 

「あの…、私が聞きました」

 

山下は続けた。

 

「幸子から聞いたけど、愛は松ちゃんのことが好きなのって。それで、秘密をバラしたんだと思って、愛に伝えました」

 

「うん」

 

加藤も応じた。

 

「そうなんだね。実はさ、先生ね、橋本くんからもちょっと話を聞いてきたのね。何て言ってたと思う?」

 

みんなの視線がハテンコー先生に注がれた。

 

「夏休みに4人で遊びに行こうって誘われたんだって。それで、何で4人なんだよって尋ねたら、加藤さんが松ちゃんのことを好きだって話になったって」

 

「そうなの?」と尋ねる加藤に、鈴木は視線を向けると、「ごめんなさい」とつぶやきながらうなづいた。瞳は真っ赤に充血していた。

 

「それで、橋本くんは山下さんに相談したわけだ。お前らいつも3人でいるのに、山下さんは一緒に遊びに行かないのかって」

 

加藤は鈴木と山下を交互に見やりながら、困惑した表情を浮かべている。

 

「山下さん…、それを橋本くんから聞いたとき、どんな気持ちだったの?」

 

山下もポロポロと涙をこぼし始めた。

 

「なんか、仲間外れにされた気持ちだった。夏休みも一緒に過ごそうって話してたのに」

 

「そうか、腹が立った気持ちだったのかな?」

 

「腹が立つっていうか、悲しくなりました。中2になって、同じクラスになって、やっと親友って呼べる友だちができたって思ったのに…」

 

「そうなんだね」

 

そう言うと優しく微笑んだ。僕はなんだか不思議な気持ちだった。これはどういうことなんだろう。それぞれに想いがあり、それぞれに少しだけ配慮が足りなくて、不器用で。その結果、まさにもつれた糸のように…。そうか。これがハテンコー先生の言う「もつれた糸をほぐす」ってことなのだろうか。

 

 「鈴木さんは、山下さんの気持ちを聞いて、どう感じたかな?」

 

鈴木は言葉を選ぶように、ゆっくり話し始めた。

 

「わかります。ごめんね、由香里…。でも、由香里は…」

 

「うん、山下さんも松ちゃんのことが好きなんだよね?」

 

ハテンコー先生が尋ねると、 

 

「違います!」

 

二人は声をそろえて言った。

 

「あ~、じゃあ橋本くんかぁ」

と、ハテンコー先生は笑って尋ねた。それで、今度は二人は黙ってしまった。

 

「それで、誘わなかったんだね」

 

鈴木はうなづくと、そのままうつむいた。

 

「本当にごめんなさい」

 

 

第10話 力づくの指導

 その後、お互いに気持ちを伝えると3人で帰っていった。僕は、その姿にほっとした。

 

 職員室に戻って教頭先生に報告すると、教頭先生も一緒になって喜んでくれた。

 

「そう、よかったね。いい経験になったねぇ。ハテンコー先生の指導はどうだった?」

 

指導というと、事実を明らかにして、どちらが悪いかをはっきりさせて注意するという感じだろうか。去年自分の指導教官になっていただいた先生は、そう話をされていた。場合によっては怒鳴ることもあった。

 

 ところが、ハテンコー先生と言えば、終始ニコニコしているだけだった。穏やかに耳を傾ける。「どんな気持ちだった?」ずっと問いかけ続けていたのだった。

 

 「ハテンコー先生は、なんだかこれまで僕が教わってきたこととは、ずいぶん違いました」

 

「そう?何が違ったんだろう?」

 

「なんていうか、力づくで聞き出すような感じじゃなくて、すっと心に入り込んでいくような…。うまく言葉にできませんが」

 

「そうか。じゃあ、直接尋ねてみればいいんじゃない?」

 

僕ににっこり微笑むと、教頭先生は「これで話は終わり」とばかりに視線をパソコンに移した。別れ際に一言、こう付け加えた。

 

「田坂先生、やっぱりハテンコー先生はすごいだろ?伝説の先生だからね」

 

「伝説?」

 

教頭先生はニヤリと笑って、また視線をパソコンに移した。

 

 

第11話 目の前の子どもをハッピーにする。

「先生、先ほどはありがとうございました」

 

ハテンコー先生はマグカップに注がれたコーヒーをさも美味しそうに口にしながら微笑んだ。

 

「いや~、おもしろかったなぁ」

 

「えっ、何がおもしろかったんですか?僕はどうなることかと思いましたよ」

 

「そうかい?だってさ、つまり、鈴木さんと山下さんは恋敵ってことだろ?加藤さんは何にも関係なかったわけで、橋本くんも松本くんも振り回されたねぇ」

 

「そうですね」

 

「でも、まあ、一番振り回されたのは、田坂先生かな」

と言うと、豪快に笑った。

 

「あの…、先生。ちょっといいですか?」

 

「んっ?なに?」

 

「今日の指導なんですけど…、あの…、ありがとうございました」

 

ハテンコー先生は、僕の方に向きを変えると、コーヒーを一口、口に含んで先を促した。

 

「あの~、今日の指導は、その…、どんな感じだったのでしょうか」

 

「んっ?どんな感じって、何が?」

 

僕はどう尋ねていいのかわからなかったが、感じたことをそのまま伝えることにした。

 

「僕がこれまで見てきた指導って、何があったか尋ねて情報を集めます。そして、だれが悪いのかをはっきりさせて、叱ります。で、今日の場合だと、やっぱり事件の発端をつくった鈴木を叱ってですね…」

 

「ふん、それで?」

 

「やっぱり、橋本から聞いた話をちゃんと伝えなかった山下も、それはよくないんじゃないかって叱って。喧嘩両成敗って感じですかね」

 

「ふ~ん、で?」

 

「で…、双方謝罪して仲直りさせて、お終いです」

 

ハテンコー先生は、さも可笑しそうな表情を口元に浮かべて、僕の瞳の奥をのぞきこんだ。

 

「それで、目の前の子どもたちはハッピーになるのかい?」

 

「どういうことですか?」

 

「僕らのシゴトはさ、目の前の子どもたちをハッピーにするためにあるんだよ。あっ、この場合のシゴトは志に事と書いて志事ね」

 

「でも、これまでの指導って、そういうものじゃ…。子どもの幸せなんて考えたこともなかったです」

 

ハテンコー先生は、いつになく真剣な顔をしていた。

 

「いいかい、田坂先生。今はね、もう昔のように無条件で保護者や子どもたちからリスペクトされていた時代じゃないんだ。その時代のやり方に縛られていたら、学校は時代に取り残されるよ。なぁ、学校の制度っていつからだい?」

 

僕は即答できずにスマホを取り出すと、さっと検索した。

 

「へぇ~っ、イマドキって感じだねぇ」

 

ハテンコー先生は、ちょっとだけ寂しそうな顔をしていた。

 

「えっとですね。学制は明治5年です」

 

「いや、一人の先生がいて、一つの部屋で学ぶなんてのは、寺子屋の時代からずっと変わってないんだ。江戸だよ、江戸」

 

「えっ…江戸ですか?」

 

「じゃあさ、そのスマホ。できたのはいつだい?」

 

「えっと…」

 

「せいぜい、ここ数年だろ?SNSが生まれ、だれもが情報発信できるようになった。スマホ一つで映画も音楽も買い物もできる。スマホ一つ取ったって、時代がどんどん変わっていってることがわかるよね。外資系企業もどんどん増えてきている。世の中が急速に進化していってるんだ。それなのに、学校だけは大昔から変わらないんだ。いや変われないんだ」

 

「そうかもしれません…」

 

ハテンコー先生の瞳がキラリと光ったように見えたのは気のせいだろうか。

 

「だけど、僕らには学校という仕組みそのものを変えるような力はないよね。でも、僕はね、先生の在り方は変えられると思ってるんだよね」

 

「在り方…、ですか?」

 

「そう、先生の在り方。これまでは、子どもたちを管理して指導するのが仕事だったじゃない?でもね、これからは目の前の子どもをハッピーにすることを志事にする先生が必要だと思うんだよね」

 

僕は、黙って言葉の意味を噛み締めていた。「目の前の子どもをハッピーにする」そんなことは考えたこともなかった。

 

「目の前の子どもをハッピーにしようとするから、子どもたちに愛される先生になれる。目の前の子どもたちをハッピーにしようとするから、保護者に応援される。そうやって、子どもたちに愛されて、保護者に応援されたら僕らもハッピーだよな」

 

 僕は、子どもたちに愛されているだろうか。保護者に応援されているだろうか。自問自答したが、答えは明白だった。僕には足りないものが多すぎる。

 

「で、本題に入ろうか」

 

「はい…」

 

僕はか細い声で返事をした。

 

「生徒指導は引き分けがいいんだ。トラブルなんて双方に原因があって当たり前。僕らは裁判所でも警察でもないからね。裁く必要なんてないさ。どんなことがあったの?どんな気持ちだったの?って尋ねながら、お互いのもつれた糸をほぐしていくんだね」

 

「あっ、もつれた糸をほぐすという感覚はよくわかりました。話しているうちに、ほぐれていく感じがありました」

 

「うん、そうだね。でもね、それは僕が明らかにしていったわけじゃないよね。子どもたちが話をしながら、自分たちで解決していったんだよね」

 

「そうですね。先生は問いかけていただけでした」

 

「うん、それでいいと思うんだ。問いをつくれば、自然と答えは生まれる。話をしていれば、もつれた糸はほぐれてくる。人間って不器用だからさ、問題を抱えた者同士で解決するのは難しいんだな」

 

僕は、黙ってうなづいた。

 

「だから、そこは大人が臆せず介入してあげる。だけど、それはあくまでも間に入るだけ。指導したり、裁いたりしなんだな」

 

「でも、そうやって間に入るのって難しくないですか?」

 

「これからの先生はさ、ファシリテーターになることが必要なんだよ。ファシリテーターってのは、会議などの場で参加者の気持ちや言葉を受け止めながら、話し合いを促進していく司会者のような人ね。そういうものになる必要があるんだよね」

 

「ファシリテーターですか…」

 

「うん、結局ね、問題を抱えた者同士で解決するしかないの。それを促進してあげる、助けてあげるイメージで間に立つんだよ。で、そのためには、話し合いやすい雰囲気をつくる必要があるよね」

 

そういえば、ハテンコー先生は終始ニコニコとしていて穏やかな表情を浮かべていた。

 

「いや~、しかし、なんか険悪な雰囲気でヒヤヒヤしたよね。あのままケンカでも始まるんじゃないかって感じだったもんねぇ」

 

「僕には、先生はヒヤヒヤしているようには見えませんでしたよ」

 

「いやいや、むちゃくちゃヒヤヒヤしてたって。どうなるかなんてノープランだったしさ」

 

ハテンコー先生は、僕をからかっているのだろうか。そんな素振りは一切見せていなかった。

 

「でも、先生はずっとニコニコとしていたじゃないですか?全然そんな感じはしませんでしたよ」

 

ハテンコー先生は、さも可笑しそうに笑った。

 

「そりゃ、そうさ。演じるよ。まず空気をつくるの。温かい空気をつくってね、あなたの話を受け止めますよ、って感じにしなきゃね。怒ってる人間に話なんかしたくないでしょ?イライラしている人間と話したいと思う?」

 

僕は、思わず顔を赤らめて俯いた。それは、僕の姿だった。たしかに、怒っている人やイライラしている人となんか、僕だって話したくはない。

 

「あのね、基本的に子どもたちって大人の介入を嫌うんだよ。そんなの自分が子どものときのことを思い出せばわかるじゃない?」

 

「はい…」

 

「でね、ただでさえ話したくないことを話させようと思ったらさ空気感ってすごく大事なんだよね」

 

「あの一瞬で、それを生み出すんですか?」

 

「まさか!日頃の人間関係だよ。あの場面だけでそんな関係はつくれないさ。ちゃんと種まきをしておくことが大事なんだよね」

 

「だけど、先生はこの4月にウチの学校へ赴任してきたばかりじゃないですか」

 

僕は思わず、大きな声を出してしまった。僕は彼らが入学したころからの付き合いである。一方、ハテンコー先生はまだ3ヶ月の付き合いなのだ。

 

「う~ん、まあ、それはねぇ」

 

僕には、ハテンコー先生のもつノウハウが必要だった。この先生は僕に足りないものをたくさんもっているはずだと直感で理解した。

 

「先生、僕も子どもたちに愛され、保護者に応援される先生になれるでしょうか。僕にその才能があるでしょうか?」

 

すると、ハテンコー先生はニッコリ微笑んでこう言った。

 

「才能は関係ないよ。謙虚に学ぶ姿勢さえあれば、だれだってそんなハッピーな先生になれるんだよ」

 

僕は、思わず立ち上がると、大きな声で叫んでしまった。

 

「先生、僕を育ててください!」

 

職員室中の視線を感じた。だが、その視線は心地の良いものだった。

 

このあとのお話

このあと二人で家庭訪問に行きます。

さらに、子供との関係に悩む女教師の登場。

そして、ハテンコー先生と因縁のある先生の登場。

 

子供を大切にすればするほど、校内で浮いていく。

そして…。

 

という展開。

それはまたいずれ。

2万字を超える文章をお読みいただきありがとうございました。

くればやし ひろあき

公立中の先生を16年間勤めて独立。おもに生徒指導に携わってきた思春期の子どもの専門家。その経験を生かし、受講者500人超のワークショップ『子どもとつながる問いかけの魔法塾』を全国で開催。この夏クラウドファンディングを成功させ県内8会場映画上映ツアーを敢行。お母さんのための学校『passion life college』を妻とともに主宰。3児の父でもある。