お母さんたちに本音が言える空間をつくる。
批判って必要なの?
昔、国語の教材を読むとき、
「批判的に読む」
ということを教えられた。
書いてあることを鵜呑みにするのではなく、
「本当にそうか?」
と、問いながら読むのだ。
ところが、
この「批判的」ってスタイルは、
どうも「今どき」な感じがしない。
なんつ〜か、
「批判的に読む」
と、教室がギスギスしてくるんだな。
「これっておかしくない?」
「本当にそうなの?」
まあ、確かに「問い」は生まれる。
生まれるんだが、ギスギスしてくる。
そのうち、教室でも議論が始まる。
「その考え方っておかしくない?」
「私の方が正しい!」
「いや、あなたは間違ってる!」
そんなやりとりが増えていく。
まあ、
学校って議論やらディベートやらが好きで、
よく授業実践に組み入れられている。
ところがだ。
ディベートってさ、
論理的であるよりも、
声のデカいやつが最強だったりする。
この場合の「声がデカい」ってのは、
声量の話ではもちろん、ない。
子どもたちの人間関係の話ね。
「私が、私が」タイプが最強。
そんなわけで、
萎縮して話ができない子が生まれる。
そんな姿を見て、
「この授業、つまんねな〜」と思った。
それが先生になって3年目。
二度とディベートとかやらなかった。
まあ、あれ、喜んでやってるの、
「声のデカいタイプ」だけだしね。
「そういう力」をつけないと、
国際社会でどうのこうの…みたいな話も聞く。
だが、大切なことを教えよう。
そもそも、
僕は38年間、
外国人と議論したことなんてない。
っていうか、英語しゃべれないし…。
上海在住中、
中国人に「わ〜、わ〜」言われたことが幾度もある。
それをどう乗り越えてきたか。
必殺「愛想笑い」
「愛想笑い」と「腰の低さ」
日本人の、日本人らしい能力を発揮して乗り越えてきた。
そんなわけで、
大半の人間は、
そんなに国際的な交渉力的なヤツはいらないと思うんだよなぁ…。
批判的よりも共感的が良いよね♪
そんなわけで、批判的な人って好きじゃないなぁ。
そう!
「批判的な人」に批判的なのだ!
んでね、
やっぱりこれからの時代は
「共感的」がいいんだわ。
それは、「なんでも受け入れろ」ってことじゃないのね。
「あなたは、そういう考え方なんだね。
私は、こういう考え方なんだよ」
で良いわけ。
違ってていいの。
そこをハッキリさせる必要なんてなくてね。
違いは「間違い」ではないわけ。
みんな違って、みんないい。
そこに正解、不正解を持ち込むから、批判的になる。
どっちが正しいかなんて、どーでもいいんだわ。
名古屋にて、お母さんたちと「子どもとのつながり」をテーマにしたワークショップを開催した。
僕が心かげたのは、共感的に聴ける場をつくることだった。
互いの言葉を共感的に聴く。
だから、本音をだれもが語れる。
ジャッジされない世界では、本音を伝えられる。
本音は「本」当の「音」だからね。
よく響くんだ。
共感の世界では、本当によく響き合う。
共鳴する感じだね。
「共鳴し合う」って、
つまりはそこに「つながり」があるってこと。
「つながり」合えたとき、
そこは安心・安全な世界が生まれるわけ。
そんなわけで、先日の子育て講座も多いに盛り上がったのです。
まあ、これを教室にも持ち込むといいのさ。
んじゃ、何が大事かっていうとね、
先生が「批判的」であることを手放せばいいわけ。
まず、そこ。
シンプルな話でしょ?
創造的な人生を生きるためのしつもん
批判を共感に変えるポイントは何ですか?