他人の投稿が自慢に見えてしまうあなたへ
僕らが他者に与えられるのは情報だけ。
その情報を受け取った後、どんな感情を抱き、どんな行動をするかは相手次第だ。
たとえば僕が、海外を旅行したことをSNSに書く。
これはひとつの情報でしかない。
だが、この情報を得て、選ぶ感情は様々だ。
今回は僕はマレーシアとインドネシアを旅した。
毎日のように世界中を旅している人から見たら、「なんだ、2ヶ月ぶりの海外か…」と思うだろう。
ヨーロッパやアメリカなどを旅してばかりいる人から見たら「なんだ、アジアか」と思うだろう。
一方、「なんだ?自慢か?」って思う人もいると思う。
なんとなくフェイスブックの「いいね」を押したくない、そんな気持ちもわかる気がする。
また、いつかは独立して自由になりたい!と思っている人は、「いいなぁ」って気持ちになっているかもしれない。
僕が提供しているのは情報であって、そこから受け取る感情は、実は受け取る人の状態をそのまま表しているのだ。
僕は「学校の先生」時代、マツダミヒロさんのSNSをフォローしていた。
そこに映し出されるのは、世界中を旅して生きる、そんなライフスタイルだった。
美しい街並み。
どこまでも広がる青い海。
それは別世界で暮らす人のライフスタイル。
僕はそんな「情報」をギューギュー詰めの満員電車で眺めていた。
いつもと同じ電車。
いつもと同じ顔ぶれ。
いつもと同じ駅で降り、人の波に流されながら職場に向かう。
僕のルーティーンとは、すべてが異なっていた。
僕は悔しかった。
同じ人間なのに。
僕がその情報を得て選んだ感情は、行き場のない怒りだった。
悔しさであり、悲しみだった。
だが、僕にそう思わせたのはミヒロさんではない。
ミヒロさんの情報を見て、その感情を選んだのは僕なのだ。
感情の奥には、本当に自分がやりたいことが眠っている。
僕はミヒロさんみたいなライフスタイルがしたかったのだ。
そのニーズに気づいた僕は、自分の行動を選ぶことにした。
「どうしたら、あんなライフスタイルが送れるだろう?」
そう問いかけて、ただひたすら学んだ。
なんでも挑戦した。
思うにSNSって、キラキラした部分しか投稿しない。
だから、眺めていると「みんなはすごくて、自分はダメ」みたいに見えることもある。
そういう使い方は正しくない。
他人の投稿を見ながら、自分の感情を見つめてみるといい。
人の楽しそうな投稿を見て「いいね」って押しづらいとき、そこには隠れている本当の気持ちに目を向けるチャンスなのだ。
創造的な人生を生きるためのしつもん
「うらやましい」と感じたことはなんですか?