「無理なくできていること」を大切にする。
「あたしは何もかも剥ぎ取られ、死んでしまったの。それを12歳の時に経験したのよ」
大人になった彼女は、自身の子ども時代を振り返り、こう述懐します。
彼女の名は、ココ・シャネル。
言わずと知れた世界的ファッションデザイナーです。
彼女のお母さんは、家に居着かない夫のために、3人の女の子と2人の男の子を育てながら、必死に働きました。
そんな厳しい暮らしの中、結核を悪化させたお母さんは33歳の若さでこの世を去ります。
彼女がまだ12歳のときでした。
涙にくれる子どもたちをお父さんは馬車に乗せると、田舎町の孤児院へと連れて行きました。
精神分析家でシャネルの晩年の友人でもあったクロード・ドレは、「親に捨てられた」という事実と、生涯戦い続けたと言います。
彼女は、ここで意外な才能を発揮します。
孤児として割り当てられた粗末な制服を、自分なりの制服に作り変えてしまうのです。
こそこそ規則を破るのでもなく、形を大きく崩すのでもなく。
一目で、「他とは違う」と感じさせる着こなしだったそうです。
やがて、彼女はムーランの町にあった洋装店でお針子の助手として働き始めます。
周囲には騎兵隊の宿舎があって、パリッとした制服に身を包んだ将校たちが繕いにやってきました。
これらは、のちのシャネルスーツのデザインにも生かされたそうなのです。
そんな将校たちの中の一人にエチエンヌ・バルサンがいました。
恵まれなかった子ども時代を過ごし、馬が好きだったシャネル。
早くに両親を亡くし、その遺産を馬につぎ込み問題児とされていたバルサン。
話せば話すほど「似た者同士」であると感じたバルサンは、「自分の城へ来ないか?」と、彼女を誘います。
彼女は何もかも捨てて、たった一つのトランクでお城での生活を始めます。
ここでも彼女の才能が発揮れます。
当時の女性はコルセットをギュウギュウに締めて、いつだって長いスカートを履いていました。
だから、馬に乗るときも、横向きにしか乗れません。
彼女は乗馬ズボンを仕立て、飾りのないシンプルな上着と小さな蝶ネクタイを合わせました。
他の人とは違う「唯一無二」のスタイルで自分を表現してみせたのでした。
これらのコーディネートに欠かせないのは、ハンドメイドの小さな帽子でした。
一躍、彼女の帽子は女性たちの注目を集めることになります。
やがて、パリにシャネルの帽子屋さんが誕生しました。
僕らはついついがんばって、何かを身につけようとします。
けれど、「天才の種」は無理なくできていることの中に隠されているのです。
子どもの才能が花開く問いかけの魔法
無理なくできていることは何ですか?
【参考文献】
筑摩書房編集部 著
『ココ・シャネル』
(筑摩書店)