ただ、この子を受け入れる。
兄が1人、妹が3人、弟が2人の7人兄弟。
家族9人と同居していた祖父といとこ。
合わせて11人もの食事の支度を毎日していたお母さん。
お父さんは印刷業を営んでおり、いつも10人ほどの工員さんが手伝いに来ていました。
お母さんは家事と育児だけでなく、お父さんの仕事を手伝い、工員さんにも声をかけねばなりません。
多忙を極めるお母さんでした。
そんなお母さんを彼は困らせます。
母の関心を得たいと大声で泣いてばかり。
一度泣いたら3時間は泣き止まず、周囲の人を困らせます。
それでもお母さんは、決して見放しません。
甘えん坊の彼をたしなめることも、叱ることもせず、ただ「困った子だねぇ」と言って受け止めてくれたのだそう。
彼の名は稲盛和夫さん。
27歳の若さで京セラを設立し、経営破綻したJALをV字回復させた、言わずと知れた実業家です。
稲盛さんはお母さんを述懐し、こうも述べています。
「ただ、毎日を明るく、そして人のために懸命に働くその姿をありのままに見せ、素晴らしい愛情で子どもたちを包んでくれていた」と。
人としてやってはいけないことには、きちんと「いけません」と言ってくれるお母さん。
それでも、最後には必ず受け入れてくれるのがお母さんだったそうです。
6年生のとき、お母さんは学校に呼び出されることになります。
稲盛さんは「いじめ」をしてしまったのだそう。
担任の先生が士族の出身の子どもを「えこひいき」すると。
それで、その不満が子どもの方に向かってしまったのでした。
その行為自体は許されることではないのですが、稲盛さんは先生と口論になります。
それでお母さんは学校に呼び出されたのでした。
「お母さん、稲盛はこの学校が始まって以来のワルです」とまで言われたのだとか。
そんな学校での出来事を、お母さんは静かにお父さんに報告しました。
「1人の子どもをえこひいきするのはけしからんと思ったんだ」と話す稲盛さん。
そんな彼にお父さんは「そうするのが正しいと思ってしたんだな」と尋ねます。
彼は「うん」と返事をすると、「そうか」と答えて、それ以上は何も言わなかったのだとか。
お父さんもまた、稲盛さんを理解し受け入れてくれる存在でした。
ご両親はともに忙しく、なかなか子どもと触れ合う時間を作れません。
それでも、深い愛情の中で育てられたという実感が稲盛さんにはありました。
子どもの才能が花開く問いかけの魔法
受け入れてもらえたと感じるのは、どんなときですか?
【参考文献】
稲盛和夫 著
『ごてやん 私を支えた母の教え』
(小学館)