親がまず「愛の選択」をすること
行動を起こすとき、僕らは「2つの選択肢」の中から行動を選びます。
1つは「こうしたい!」という希望からスタートする「愛の選択」。
いま一つは「こうあるべき」にしたがって選択する「恐れの選択」です。
男の子が生まれたら祝砲を上げ、
女の子が生まれたらカーテンの後ろに隠す。
そんな国で彼女は生まれました。
女の子の役目は、
食事を作り子どもを産むだけ。
そんな国で彼女は生まれました。
何もかもが、僕らが暮らす世界とは大違いです。
女の子が1人で外出することも許されません。
家同士の諍いを治めるため、一族の女の子が差し出される。
そんなことがまかり通る国で彼女は生まれました。
彼女の名はマララ・ユスフザイ。
パキスタン出身の人権運動家であり、2014年にノーベル平和賞を受賞しました。
そんな国で生まれた彼女に、お父さんは
「マララは鳥のように自由だ」
と言いました。
パキスタンとアフガニスタンの各地で暮らすパシュトゥン人。
彼らにはさまざまな掟が存在します。
そのほとんどは、前述のように、この日本で暮らす僕らには信じられないものばかりでした。
男性の許可がないと、女性は銀行口座を作ることすらできないのです。
当然、選挙権なんてものもありません。
女性蔑視の国で、
お父さんはマララさんに自由を説くのです。
マララさんの家庭は、決して裕福な家庭ではありません。
彼女が生まれたとき、実家は何の援助もしてくれませんでした。
ところが、弟が生まれると祖父は自分からお金を出すと言い出します。
それを聞いたお父さんは、
「どうしてマララのときにもそうしてくれなかったんだ!」
とカンカン。
援助は断ってしまうのです。
タリバンと呼ばれるグループが、女の子の通う学校を次々に燃やしてしまう中、お父さんは女の子も通える学校を作ってしまいます。
そのうえ、貧しい子どもたちを100人以上も無料で引き受けてしまうのです。
さらに、朝食を食べられない子どもたちには自宅で朝食を振る舞ってしまいます。
「お前の自由はお父さんが守ってやる。決して夢をあきらめるんじゃないぞ」
そんなことを言うお父さんですが、何よりお父さん自身が自由です。
封建的で伝統的な社会の中で、お父さんは異端の存在でした。
自らのパッションに従って生きる人でした。
そんなお父さんだったからでしょうか。
マララさんもまた、自分の情熱を信じて生きる人に成長しました。
世間の目、周囲の空気に流されて生きるのではなく、本音で生きるお父さん。
そんなお父さんの在り方が彼女に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。
子どもの才能が花開く問いかけの魔法
周囲の空気を優先してしまうことはありますか?
【参考文献】
マララ・ユフスザイ著
『わたしはマララ 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』
(学研パブリッシング)