不登校の子どもの敵は学校ではない。
たとえば、たまねぎが嫌いな子どもがいたとします。
彼にとって一番やっかいな相手はだれでしょうか?
それはたまねぎではありません。
たまねぎを食べさせようとする大人です。
この人が一番やっかいな相手です。
「食べたくない!」と言ってんのに、「食べなさい」と言ってくる大人。
ハッキリ言ってウザいです。
ちなみに、僕はパクチーが嫌いです。
「おいしいのに〜♡」とか言ってくる人を見ると、「で?」って言いたくなります。
あれが食べ物だとは、全然思えません(笑)
もうひとつ、例を挙げます。
あなたがどうしても生理的に受け付けない男性がいるとします。
結婚相談所のお節介なおばさんが、やたらお見合いを勧めてきます。
どうしても生理的に受け付けないので、あなたはお見合いなどしたくありません。
それでも、それでも。
しつこくしつこく、お見合いを勧めてきます。
さすがは、お節介おばさんです♡
この場合、あなたにとって一番やっかいな相手は、その生理的に受け付けない男性ではありません。
やたらお見合いを勧めてくるおばさんが、一番やっかいです。
ここまで、ご理解いただけましたでしょうか?
さて、「学校に行かない選択」について考えたいと思います。
学校にどうしても行きたくない子どもがいます。
朝を迎えるとどうしてもお腹が痛くなるんです。
たぶん、たまねぎよりも、生理的に受け付けない男性よりも、マジでムリ〜〜〜って感じなわけです。
そんな彼ら、彼女らにとって、一番やっかいな相手はだれでしょうか。
その子たちにとってやっかいな相手は学校ではありません。
「行きたくない」と言っているのに、無理やりそこに行かせようとする人たちの存在です。
「学校に行かないこと」を選択しているにも関わらず、その選択を真っ向から否定してくる存在。
かなりやっかいな相手です。
痩せたくないのに、ライザップに連れていこうとするんです。
マジ、ヤバいっす!
さて。
毎朝、子どもとバトルしているお母さんも多いでしょう。
そんなお母さんに、もう一つ例を出しましょう。
たまねぎが嫌いな子どもがいたとします。
たまねぎをなんとかして食べさせようとします。
だから、たまねぎを食べないことが問題になります。
でも、考えてみてください。
たまねぎなんて、食べなくたって生きていけます。
だから、「たまねぎは食べなくてもよい」と決めるだけで、その問題は解決します。
たまねぎをいろんな工夫で、食べられるようにする。
煮たり、炒めたり。
それも一つの選択です。
一方、食べないと決めるのもひとつの選択です。
話を学校に戻します。
毎朝バトルをするのも一つの選択です。
「たまねぎと学校は違うのよ!キ〜〜〜っ!」となるのも選択です。
一方で、「学校?行きたくね〜なら、行かなくてもいいんじゃね?」と考えるのもひとつの選択です。
って考えると、結局のところ、問題は子どもでも学校でもないことがわかります。
問題は、それを「問題だ!」と思っている人の中で起こっているのです。
大切なことは、子どもとどんな関係でいたいか。
やっかいな相手でいたいか、それともよき理解者でいたいか。
そういうことだと思うのです。
魔法の質問
子どもにとって、どんな存在でありたいですか?