ライフプリズナー 〜人生の囚人〜
だれの人生を生きているのだろう?
決められた時間に目覚める。
決められた時間に家を出て、いつもと同じ駅に向かう。
気がつくと、いつもと同じ車両に乗っていた。
言葉を交わしたことはないけれど、顔なじみの乗客たち。
満員電車に揺られながら、いつもと変わらない風景を車窓から眺める。
いつもと同じ駅。
窓の外には、いつもと同じ乗客たち。
だれもが少し苛立ち、扉が開くのを待ちくたびれている。
電車から吐き出されるように降りると、人波に流されていく。
いつもと同じ門をくぐり、いつもと同じ下駄箱に靴をしまう。
決められた席に座り、決められたルーティーンで1日の仕事をスタートする。
それは別に決められたルーティーンではない。
ただ、いつもと同じなのだ。
昨日も今日も同じ。
だから、きっと明日も同じルーティーンで生きるのだ。
「学校の先生」をしていると、チャイムで行動を制御される。
決められた時間割に従って、決められた仕事をこなす。
給食という決められた食事を与えられる。
食べたいか、食べたくないか。
そんなことを考える隙間はない。
そうやって毎日が終わっていく。
僕は、だれの人生を生きているのだろう?
「なりたい自分」になる怖さ
大学生のころ、漠然とした不安が僕にはあった。
「将来、何やろうかな」
たぶん、だれもが抱く不安だ。
どうせなら、毎日いろんなことが起こる仕事がいいな。
飽きないだろうし。
ワクワクすることができそうな仕事がいいな。
そう思った瞬間、ふと浮かんだ仕事は「学校の先生」だった。
そこで、大学3年生から教員課程を受講した。
周囲に比べれば遅いスタートで、結局大学4年生まで、びっしり講義で埋まってしまった。
同級生たちは一足早く、就職活動に動き出していた。
「くればやしくんは就職活動しないの?」とよく尋ねられた。
「俺、学校の先生になるから」
そう答えるたびに、周りの同級生は怪訝な表情を浮かべた。
「そんなの無理」って、悪意なく笑われた。
この世界の住人は、夢を見る者を笑う習性があるようだ。
あるとき、エレベーターの中で、まったく話をしたこともない女の子が突然振り返り、「くればやしさんって学校の先生目指してるんですよね?絶対無理ですから!」と言われた。
僕は呆気に取られて、反論することもできなかった。
いや、反論する気はなかった。
受けるからには受かると決めていた。
心から決めたことは、必ず叶う。
僕にはそんな予感があった。
大学4年の秋、僕のもとには教員採用試験の合格通知が届いていた。
100人の応募で採用者は3人。
まさに、狭き門だった。
それは学部創設以来二人目の教員採用試験合格。
そして、初の現役合格だった。
それ以来、いっしょに教職課程を受講していた同級生たちは、声すらかけなくなった。
きっと、本当はみんななりたかったんだろう。
「そんなの無理」の言葉の向こうには、そんな思いが透けて見えたのだ。
「不採用」が怖くて受験しない。
そんな人も多いのだろう。
「免許ぐらいあった方がいいかな、と思って」という言葉をよく耳にした。
この免許状は運転免許証ではない。
教員になる気がないなら、取得する意味のない資格である。
余分なお金を払い、土曜日まで講義に出て、わざわざ教育実習まで行って取得した教員免許状である。
教員採用試験ぐらい受ければいいのにな、と思った。
この人生、このまま死ねるか?
だが、あれから16年。
僕は、自分の生き方に満足ができなくなった。
これが本当に僕のやりたいことなのだろうか。
立場が上がれば上がるほど窮屈になり、責任という名の足かせがどんどん増えていく。
でき損ないの教員が足を引っ張り、その火消しに奔走する。
意味のわからない膨大な量の書類に囲まれ、息が詰まりそうになる。
マネージメント能力のない者が年功序列で管理職になる。
いつの間にか、仕事にワクワクしていない自分がそこにいた。
鏡に映る僕は、自分が想像していた以上に年老いて見えた。
「このまま年をとるのか…」
そう思うと、僕の胸には「新たな不安」が押し寄せてきた。
老いることへの恐怖である。
失敗が許されない立場になると、人は小さくまとまるようになる。
自分らしくない自分が、どんどん嫌いになっていく。
大学生のころ、僕は「自由に生きたい」と思っていた。
そういう思いで「学校の先生」を選んだ。
だが、「学校の先生」になって16年。
本当の意味で「なりたい自分」になれただろうか。
「このまま死んだら、俺、むっちゃ後悔するわ」
そう気がついたとき、僕は身震いした。
人生の囚人
ふと「人生の囚人」という言葉が浮かんできた。
生きるためにはお金が必要だ。
時間を提供し、それをお金に換える。
そのお金で毎日の暮らしを成立させる。
その繰り返しで、毎日が終わっていく。
いつまでも同じところをぐるぐる回り続ける。
それは回し車の中のハムスターのようなものだ。
全力で走り続けているのに、いつまでたっても前に進むことはない。
きっと、そうやって人生は過ぎていくんだろうな。
ほとんどの高齢者が「人生で冒険しなかったこと」を後悔する。
僕の人生もそのようにできるいるようだ。
そう感じた瞬間、僕は人生というものがとても空虚なものに見えてしまった。
なんだか、エキストラみたいなもんだな。
子どもたちに「だれもが主人公だぜ!」って言っておきながら、僕の人生はエキストラみたいなもんだな…と思った。
時間があったら。
お金があったら。
人脈があったら。
チャンスがあったら。
そういうものがあれば、あれもやりたいし、これもやりたいし、と人は言う。
だが、もうだれもが知っているはずだ。
人生に「いつか」という日はない。
すべての条件が揃うこともない。
「いつやるのか?今でしょ!」なわけだ。
果たして僕は、公務員という名の安定を捨てて、大海原に漕ぎ出でた。
離任の挨拶に職員室を訪れると、冷ややかな視線が注がれた。
「いち抜けた」をした僕の気持ちは、「学校の先生になりたい」と言ったときの気持ちと変わらない。
「学校の先生」になりたくても、なろうとしなかった同級生たちも、今の仕事に納得がいなかいまでも折り合いをつけて何とかやっている同僚たちも、本質的には同じなのだ。
自分で自分の行動を選べる僕は、疎ましい存在なのだと思う。
「やりたいこと」をやるのは怖い。
だれだって失敗するのは怖い。
だから、多くの人は挑戦しない人生を選び、「冒険しなかったこと」を後悔する。
だが、忘れないでほしい。
人生は選べるのだ。
魔法の質問
10年前の自分が描いた「未来の自分」に、今なれていますか?