「好き」を仕事にするな。
最近よく、
「好きを仕事にする」
という言葉を耳にする。
この働き方が、
さも「素晴らしい働き方」であるかのように、
発信されている。
果たして、
本当にそうなのだろうか?
「好きを仕事にする」は素晴らしい!
そう発信している人は、
大半の人が「好きを仕事にしている人」だ。
でも、思う。
好きを仕事にしていなくたって、
幸せな人はいくらでもいる。
これはどういうことだろう?
「好きを仕事にする」という言葉が流行りだして、
多くの人が「自分は何が好きなんだろう?」という
迷宮に入り込んだ。
そして、自分の「好き」を探し始めた。
「好きを仕事にしなければならない」と縛られ出したのだ。
めんどくせ〜なって思う。
そもそも、
「好きなこと」って探すものなんだろうか?
気がつけば、「好き」になっている。
そういうものだと思う。
僕は「学校の先生」という仕事を選んだ。
「学校の先生」という仕事が好きだった。
でもね、働く前から「学校の先生」という仕事がわかっていたわけじゃない。
教育実習なんて、「学校の先生」のお仕事の「美味しい部分」だけ食べてるだけで、仕事の「し」の字もわからなかった。
働き始めてから、仕事を覚え、そして好きになった。
仕事の面白さがわかってきたのは、5〜6年経ってからだろう。
仕事なんて、働いて酸いも甘いも味わって、ようやく面白さがわかるんだよな。
って考えると、その仕事が好きかどうかなんて、やって見ないとわからないんじゃないの?って僕は思う。
だから、「好きを仕事にする」なんて考えなくていい。
好きなんて探すなよ、って思う。
ど〜でもいいよ、そんなこと。
それよりも大切なことがある。
それは「喜びから仕事をする」だ。
その仕事をしている自分が好き。
自分の仕事を通して喜んでくれる人がいる。
それが何より嬉しい。
そういう境地で仕事をすることだ。
「好きを仕事にする」という時代から、すでに時代のターンは「喜びから仕事をする」に変わっている。
お金ではない価値を、僕らは仕事から受け取っている。
明日も僕は働く。
お金がもらえなくても働く。
だって、働いてる僕が好きだから。
誰かが喜んでくれることが嬉しいから。
「目の前の人を喜ばせるために何ができるだろう?」
それだけを考えている。
仕事が好きかどうかなんてどうでもいい。
仕事をしていて嬉しいか?
魂は喜んでいるか?
そっちの方が大事だぜって思う。
魔法の質問
どんなとき、あなたの魂は喜びますか?