なぜ僕らには想像力が必要なのか。

生き物の中で、怪我や病を治したいと思うのは、人間だけらしい。
「えっ?温泉に入ってるお猿さんは?」と思ったあなた。
あれはね、意識して病を治したいと思っているわけではない。
心地よくて入っているだけなのだ。
まあ、そんなわけで、意識的に怪我や病気を治したいと思うのは人間だけなのだ。
んじゃ、他の動物はどうか。
それを受け入れて暮らしている。
「そんなの薬がないし、医者がいないからじゃん!」と思ったあなた。
そうではない。
人は病気になると落ち込む。
怪我をして、片手でも失った日には凹みまくる。
ところが、動物にはそれがないらしい。
ただ、それを受け止める。
そして、また日々の暮らしに戻る。
いっとき、バカな人間のせいで、矢が突き刺さった鴨、「矢ガモ」がいたっけ。
あの鴨だってそう。
落ち込んだ素振りも見せない。
なんとかして、矢を抜こうと、周りの動物が協力することもない。
自然界は、そのまま受け入れることで成立しているのだよ。
「今、ここ」
この瞬間を生きるだけ。
過去も未来もないんだ。
では、なぜ人間は怪我や病を治そうとするのだろうか。
今日はそんなお話をしようと思う。
西洋医学の行き届かない、いわゆる原住民の村にも医者はいる。
いわゆる呪術者のような者だ。
つまり、人間の世界では、「病や怪我」という悪い状態から良い状態にするという考え方は、共通の認識であることがわかる。
人間は「目標を持てる生き物」だと言われている。
「目標」を持つには、想像力が欠かせない。
「病になる前の自分」「病の自分」「病が治った自分」をイメージできるから、治った状態にしようとする。
そう、想像力。
これが、僕らを人間たらしめているのだ。
未来が想像できるから、それに向けて行動できる。
未来が想像できないものは生きることをやめてしまう。
これは、あらゆる動物の中で人間だけがその機能を備えています。
想像力のない人間は人間ではないのですな。
人類の起源はアフリカだと言われています。
そこから、僕らのご先祖様は爆発的に広がり、地球上のあらゆる場所に分布しました。
これはとても不思議なことです。
そういう動物は、世界中を探してもいないのです。
動物は基本的に生まれた場所で成長し、その一生を閉じます。
人間だけが住環境を移し、そこに適応して生きることができます。
私たちは、想像力をもった生き物です。
未来を想像し、そこに向けて適切なアクションを起こすことができます。
住み慣れた地域の餌の供給量が需要量に追いつかなくなると、移住するわけです。
そして、その環境に適応します。
それができるのも、想像力があるからです。
他の動物の場合、餌の需要と供給のバランスが合わなくなると、どうなるでしょうか。
答えは簡単です。
「奪い合う」のです。
それは、動物界が「勝ち負けの論理」で成り立っているからです。
一方、人間は違います。
「負けない論理」で成立しています。
互いが共存する方法を探します。
優れた知性とはそういうものです。
そして、それができるのは、高い共感力と想像力のおかげなのですね。
こうして、僕らは地球上のあらゆる場所で暮らし始めたわけです。
怪我や病を治すこともできます。
それは、未来を創造できる能力があるからです。
一方、獣化した現代社会では、想像力の欠如した短絡的な事件を目にせぬ日はありません。
人間が人間として生きるための、自然な姿を忘れずに生きていきたいものですね。
あなたに贈る魔法の質問
それは自然ですか?不自然ですか?
