「なぜ人は争うのか」を考える。
狩猟採集民の研究者であるコリン・ターンブルは、
「狩猟は攻撃性を高めるために行われるものではない」
と主張しています。
森の狩猟民であるピグミーは、1対の夫婦で家族生活を営み、食物の分配を徹底させ、争いを抑止する社会性を発達させてきました。
カラハリ砂漠でブッシュマンを調査したエリザベス・トーマスによれば、彼らは権威が表面化する行動を避け、争いごとが起きないようにしていたそうなのです。
その後の研究でも、人類が武器を作り始めたのは、比較的新しい出来事であることがわかっています。
石器として見つかった最古のものは、エチオピアで見つかった260年前の石器です。
この石器は武器として使われたものではありません。
肉食動物が食べ残した肉を骨から剥がすために使われたようです。
最古の狩猟具として残っているのは、ドイツのシェーニンゲンで40万年前の地層から見つかった木製の槍です。
長さは2〜3メートルですが、先を尖らせただけで殺傷能力はありません。
おそらく獲物を押さえるために使われたものと思われます。
実は、集団間の戦争のはっきりした証拠は、1万1千年前に農耕が登場するまで見つかっていないのです。
僕らは、「所有する」ということを豊さの象徴にしてきました。
土地を所有する。
物を所有する。
人を所有する。
権利を所有する。
「何か」を「我が物」にしたとき、人は争うことを覚えたわけです。
ただし、狩猟採集民の社会でも争いごとはありました。
妻が別の男性に寝取られたといって争いになる。
これもまた、「所有」が争いの種になることがわかります。
現代社会でも、争いごとは「所有」を巡って起こります。
政界の覇権争い。
裁判所では権利を争い、「正しいか正しくないか」を争います。
学校においては、学習成績や合否を争います。
現代社会は「競争社会」です。
上位者が下位者を淘汰する「弱肉強食」の世界です。
僕はこれを「お猿さんの世界」と呼んでいます。
「勝ち負けの論理」で成り立つ獣化した社会です。
一方、本来の人間社会は「負けない論理」で成り立っています。
共存共栄、持ちつ持たれつ。
これこそが「人間らしい関わり方」なのですね。
お散歩がてら通りかかったお寺の掲示板に、こんな言葉を見つけました。
「奪い合えば足りず、
分け合えば余る」
なるほどな、と思いました。
我が家には、3人の子どもたちがいます。
おやつを分け合うことがなかなかできません。
ゲームの順番を譲り合うこともできません。
そんな姿を見ながら思うわけです。
「自分のものだ」という所有欲が人を争いへと誘います。
人間を獣化させます。
本当はね、「分かち合う」ということが大切なのです。
そのような精神性が人間らしい自然な在り方なのだと思いました。
あなたに贈る魔法の質問
何を分かち合いますか?