学校や教育を変えたいあなたへ

「教育を変えたい」
「学校を変えたい」
そんな思いを持っている人を、
よくSNS上でお見かけする。
僕には、そういうものがない。
だから、すごいなぁ…、熱いなぁ…と思って眺めている。
ただ、思う。
「教育を変えたい」なら、政治家になった方が早い。
「学校を変えたい」なら、先生になった方が早い。
けれど、誰も政治家や先生にはならない。
まぁ、僕なんかはずっと教育現場にいたから、
学校が変わらないことはもうしっかり肌で感じてきた。
「学校を変えよう!」なんて先生はごくわずかで。
大半は現状維持を望んでいる。
そんなこと言ったらさ、
日本中の企業だって向上心持ってる従業員はわずかなもので、
現状維持、給料がもらえるならそれでいいやって人の方が多い。
そんなわけで、本気で教育のことなんか考え出した日にゃ、
学校現場にいるのが苦しくなってくる。
んで、辞めちゃう。
「いい先生から現場を離れる」
そんな声をよく耳にする。
学校なんて、チェーン店だもん。
「校長」なんて呼んでるけどさ、
ぶっちゃけ店長じゃん。
2年おきに店長も副店長も交代する。
たまに熱い人も来るけど。
学校が荒れててくれれば、職員も一致団結して変わろうとするけどね。
学校が落ち着いてたら、反発の方が大きくなる。
僕みたいに強烈な人間だと、周囲が着いてこられなくなる。
今思えば、申し訳なかったなぁと思う。
彼ら彼女らのレベルで教員をやってあげたら、もうちょっと居心地が良かったかもしれない。
従業員マインドにあふれた教員と、起業家マインドにあふれた僕では、同じ土俵で仕事をするのは、かなり無理のある話なのだ。
起業家って、上のレベルの人に合わせて話をする。
うまくいってる人を真似て、少しでも近づこうとする。
一方、従業員マインドの人は、「できない人」の合わせるよう要求してくる。
いわゆる「足を引っ張る」というヤツだ。
毎日「学級通信」を書いていたら、「書けない先生だっているんだよ」みたいに言われたりする。
そりゃ、介護がある、育児がある、なかなか時間のない「お母さん先生」の気持ちなら、わからなくはない。
だが、この場合は違う。
「できない先生」に合わせる。
ズバリ言っちゃうと、「能力のない先生」に合わせろ的な圧力っていうの?
あるんだよね。
いやいや、違うだろ?
お前らが、俺のレベルで仕事しろやっ!って思ったけれど。
そんなこと言ったら、パワハラだなんて言われちゃう時代だからね。
だからね、僕は学校や教育を変えたい!的な熱量はない。
体感的に、「変わらないだろうね」と思っているので。
ただ、教育は「人」だから。
素敵な先生が増えたらいいと思っている。
そのために、先生たちの力になりたいと思っている。
「変えたい」はないんだよね。
貢献したい。
ただそれだけ。
「変える」よりも「よりよくする」を考えた方が早いと思うんだけどな。
