大人のダメ出しが子どもの自由な発想に蓋をする。
子どもはダメ出しをされるたび、
ダメ出しをされない答えを探そうとする。
その子の内側にあるその子らしい答えではなく
大人が喜ぶ答えを言おうとする。
自分の中の言葉に蓋をして、
大人が合格を与えてくれる言葉を選び出す。
子どもに何かを尋ねると、
子どもは親の顔を見る。
僕は正解のない「しつもん」をする。
答えに正解なんてないのだけど、
正解を探すクセのついた子どもは、
親の顔を伺い出す。
そんなときは要注意だ。
夏休みの宿題を次男がやっていた。
目の前に妻が腰かけている。
その様子を遠巻き見ながら、僕はパソコンのキーボードに指を走らせていた。
課題はどうやら、「夏の暑さを和らげ快適に過ごす方法を書く」というものらしい。
次男の答えは「バンコクで買ってきたTシャツ」(笑)
彼は一度「コレ!」と決めたら必ずそれを購入するし、それを大切に使う。
夏休みの家族旅行でも、バンコクで買ったTシャツをとても気に入っていた。
だが、妻からのダメ出しが入る。
「それじゃ涼しくないでしょ?」と。
妻には妻の答えがあるのだろう。
次男には次男の答えがあるのだろう。
それで僕は「そのままでいいんじゃないか」と伝えた。
だが、思う。
これはこれで「僕の答え」であり、口を挟む必要はなかったのかもしれない。
ただ、寂しそうに自分の答えを消しゴムで消し、「正解」が見つからずに顔を歪める次男の様子が、僕にはひどく辛かったのだ。
ダメ出しをすればするほど、その子らしさを失う。
ダメ出しをされてきた親ほど、子どもにダメ出しをしてしまうのかもしれない。
ありがたいことに、僕はダメ出しなどされたことがない。
されても聞きゃしないんだけど。
だから、僕はブレないし、僕の答えでもって行動する。
どのような幼少期を過ごすかは、その人の人格形成に大いに影響を与える。
もっとも大事なことは、子どもが自分の答えをもち、自分の答えを信じ、自ら行動できる人に育てるである。
そうであるならば、親にできることは「じっと我慢すること」なのかもしれないな。