学級担任はパーフェクトな先生ではダメ!

組織は回すものである。
あれもこれもパーフェクトにできる先生を求めがちだけど、パーフェクトな先生ほどつまらないものはない。
もしもあなたが、完璧な先生でないならば、それは子どもたちにとって喜ばしいことである。
あなたがもしもパーフェクトでないならば、まずすべきことは自分を知ることだ。
自分にはどんな力があって、どんな力が足りないのかを知る。
これが大事だ。
そして、ここで、多くの教師は間違える。
自分の力不足を知ったうえで、その力不足を努力で補おうとする。
そういうところが、頭が悪いのである。
あなたの力不足なところ。
そう、欠点。
それは欠かせぬ点である。
子どもたちが成長するために存在する欠かせぬ点である。
足らぬなら助けてもらえば良いではないか。
あなたの不得意なことを、得意な生徒は必ずいる。
その子たちに助けてもらえばいいのだ。
僕は、予定をよく伝え忘れていた。
子どもたちもそのことを理解していた。
まあ、僕の場合、抜けが多いというよりは、忙しすぎて職員室に戻らないことが多かったため起こる情報の「抜け」だったのだけど。
そんなわけで、各教科係や学級委員は他のクラスの提出物をチェックし、我がクラスに伝えてくれたのだ。
「先生、2組ではこんな連絡がありました」
「先生、5組はこうです」
我がクラスには、全クラスの情報が集まってきていたのだ。
僕が「できない先生」だからこそ、子どもたちが成長していった。
だが、あるとき、ちょっとしたトラブルが起こった。
授業が延長されたため、子どもたちが他クラスの偵察に行けなかったのだ。
そこで、子どもたちが書いた「明日の予定」はかなり間違った情報となっていた。
僕はこそっと自分のノートを取り出し、係の子どもに耳打ちしたのだ。
そう。
僕はノートにいつも連絡事項を書いていた。
実は、いつもテキトーなフリをしていたのだ。
「先生、もうちょっとちゃんとしてください」
よく言われていた(笑)
こちとらプロ教師である。
当日と翌日の予定ぐらいメモしてあるのが普通である。
そうやってバカなフリをして、子供を成長させるのだ。
「あの先生、俺たちがいなきゃダメだよね」
とか言われるぐらいがちょうど良い。
そのうえで、素晴らしいクラスを作れていればいいのだ。
賞賛なんかいらない。
この仕事は、どこまで行っても自己満足の世界である。
ところが、ある女子生徒がこうつぶやいた。
「先生がちゃんと調べていることぐらい知ってますから」
「私たちも先生に乗っかってるだけですから」
まったく子どもたちいうのは、大人のさらに上を行く存在である。
僕らはパーフェクトを目指してはいけない。
全員の力を総結集させたときにパーフェクトであれば、それでいいのである。
欠点があることこそが武器なのだ。
