子どもが「先生である私」の言うことを聞きません。
子どもが「先生である私」の言うことを聞きません。
どうしたら、子どもが言うことを聞きますか?
そんな質問をそんな質問をいただきました。
大人が上で、
子どもが下。
そんな価値観の中で生きている大人は、
たくさんいます。
先生が上で、
児童生徒が下。
そんな価値観の中で生きている先生は、
ですから、
子どもを教育したがります。
子どもをコントロールしたがります。
僕がこんなことを書くと、
やたら噛み付いてくる層の人たちがいます。
彼ら彼女らのアイデンティティは、
「子どもより上であること」で保たれています。
ところが、
子どもたちはその程度の大人たちと比べ、
極めて優秀です。
薄っぺらい大人や先生の、
薄っぺらい人間性を、
瞬時に見抜きます。
「先生である私」に酔っている先生の言うことを、
聞くわけなどないでしょう。
また、
そういう先生に限って、
小手先のテクニックで子どもをコントロールしようとします。
教育技術というのは、
人間性の土台の上にあるものです。
人間的な魅力がないあなたが、
技術に走ったところで、
結果は火を見るよりも明らかです。
まず「先生である私」を手放すことです。
一人の人間として、
子どもたちと接することです。
子どもをリスペクトし、
本気で付き合うことです。
お友達感覚ではありません。
先生と生徒の関係でもありません。
一人の人間として、
対等に付き合うのです。
子どもがあなたをリスペクトしないのは、
あなたが子どもをリスペクトしていないからです。
リスペクトしていないからこそ、
コントロールできると思ってしまうのです。
自分が子どものころを思い出してみてください。
どんな先生だったら、
あなたは言うことを聞きたいと思ったか。
簡単なことです。
僕自身、
力づくで指導をしていたころがありました。
廊下を歩けば、
子どもたちが道を開ける。
僕はそんな先生でした。
マイクを持って全校生徒の前に立てば、
一瞬で子どもたちの背筋が伸びる。
そんな先生でした。
それを「指導力」だと勘違いしていた時期もありました。
若かりしころの話です。
その後、
そんな指導では通用しない学校に赴任し、
僕は変わりました。
板書をしていたら殴られたり、
百人一首を読み上げていたら飛び蹴りされたり(笑)
誰ひとり座らない教室で悪戦苦闘した日々も今は懐かしい思い出です。
そういった時間の中で僕は変わりました。
大切なことは関係性であることを学びました。
あの経験がなければ、
僕は未だに力づくの指導をしていたかもしれません。
先生が上で、
そんな指導では、
太刀打ちできない時代がきました。
「先生である私」を手放せるか。
あなたの小さなプライドが、
きっと邪魔をします。
僕もそうでした。
必死になって、
「先生である私」を保とうとしました。
そして、
子どもたちとの関係性が壊れていきました。
小さな小さなプライドを手放したとき、
本当にあるべき姿が見えてきます。
弱い自分を受け入れる。
そんなところからスタートしてみてください。
子供とつながる魔法の質問
どんな弱さを受け入れますか?