生徒指導が苦しいあなたへ


ある高校の先生とお話をした。

その先生は、生徒指導の厳しい学校に赴任したらしい。

 

 

毎月1回、身だしなみ検査がある。

髪型を厳しく点検し、靴下はワンポイントしか許されていない。

いかにも昭和な指導である。

 

 

違反を犯した者は、身だしなみを正し、生徒指導室に謝罪に伺うらしい。

いかにも昭和な指導である。

 

 

それがその先生には、苦しいらしい。

どのようにすれば良いか?

そんなご質問をいただいた。

 

 

少なくとも、正規の職員ではない講師という立場である以上、できることは少ないように感じる。

もちろん、PTAや生徒会を焚きつけたり、教育委員会から攻めるとか、組合を動かすとか、いっそ政治家にアプローチするとか、やろうと思えばいくらでも方法は思いつくけれど。

 

 

ある意味職場に迷惑をかけるようなやり方は雇用されている身である以上、先生がするアプローチではない。

 

 

たしかに、僕はルールをぶち壊してきた。

学校給食で必ず飲ませる牛乳を、「飲みたくないなら飲まなくてもいい」としたり、絶対に許されない食べ残しは、「食べたくないものなら、最初から減らしてもらわないと食べ物に失礼」としたり。

 

 

「学年主任だからって、その学年だけ指導方針を変えたら困ります」とよく言われた。

何が困るのだろう?

あなたが困るだけで、俺も生徒も困らないんだけど…。

なんて書いたら、きっと現役の先生はモヤモヤするんだろうな。

 

 

僕がそうやって好き勝手にやれたのは、自分のクラスに圧倒的に大変な子どもや保護者を受け持ってきたからだし、最終的に全部責任を取ってきたからでもある。

 

 

こんな僕だけど、生徒指導主事や学年主任を務めてきた。

好き勝手にやって干されたわけではなく、重宝されたわけだ。

まあ、こういうのって、100%賛否両論になるんだろうけど。

 

 

児童虐待の案件で、校長も教育委員会もビビって動けなかったことを、「俺がやるから、黙ってみとけ」って言って動いたり。

「校長出せ!」と怒鳴り込んできた相手に、「あんた、もう帰っていいよ」と言って校長を追い出し対応に当たったり。

 

 

そういうことをしてきたから、ある意味ある程度のわがままは許されてきた部分がある。

だから、時折お父さんお母さんから聴こえてくる「ウチの担任がくればやし先生なら…」という言葉は、ちょっと違うのになぁ、と思う。

 

 

若いときに勝手にルールを捻じ曲げたら、組織として成立しなくなると思うのだ。

まあ、僕の中にもちょっぴり「昭和の風」が吹いているわけさ。

 

 

 

僕は、若いころから、このまま僕だった。

だから、むちゃくちゃ先輩たちに嫌われた。

 

 

2年目。

暴れる生徒を抑えていたら血だらけになった。

校長室に呼ばれた僕に、校長と教頭は「公務災害」の説明を始めた。

 

 

その生徒は、まだ暴れていた。

「お前ら、バカか?」と怒鳴って校長室を飛び出していった。

 

 

初めての中3担任。

何度、進路指導室に呼び出されたことだろう?

何度も説教を喰らい、口論になった。

「子どもの幸せ、ホントに考えてんのか?」

何度憤ったことだろう。

 

 

生徒がいる職員室で他学年の学年主任に胸ぐらをつかまれたこともあった。

そのまま壁際まで押し込んで、二度と向かってこないように軽く脅しておいた。

 

 

若いころ、今思えばめちゃくちゃだったと思う。

「職員室は全員、敵」ぐらいの気持ちでいた。

 

 

子どものころ、ひどい体罰にあった。

それで先生を志したんだった。

 

 

「学校をつまんなくしてるのは先生じゃん」

そんな尖った思いがあって、若いころはあまりいい先生とは言えなかった。

 

 

そのうち、心許せる先輩ができて、いくぶんマイルドになったように思う。

気がつけば、僕が嫌いだった「先生」に、僕も成り果てていた。

そのころは、廊下を歩けば生徒が道をあけるような先生だった。

 

 

2校目で天狗になった鼻はコテンパンに折られ、僕は変わった。

上海に渡り日本人学校の先生になって、さらに変わった。

帰国すると、もはや「学校」というスケールに収まらなくなった。

 

 

今思えば、もう限界だったと思う。

とにかく会話がかみ合わない。

「子どもの幸せ」しか考えない僕は、「学校の体裁」しか考えない者たちと幾度となくぶつかった。

 

 

そういえば、あるセラピストさんに言われたことがある。

「くれちゃんは、本当は叱りたくないのに叱らなければならないポジションでずっと仕事をしてきた。それが、ものすごいストレスになっている」と。

 

 

以来、僕はほとんど叱らなくなった。

牛乳をなんとしても飲ませたい先生や食べ残しがどうしても許せない先生が憐れに見えた。

 

 

そう見えるようになった時点で、僕は「学校の先生」を続けるわけには行かなくなった。

生徒指導がただ苦しいだけなのだ。

 

 

靴下だの、髪型だの、他の教員のこだわりがさっぱり理解できなくなり、ただただ苦しくなった。

これを苦しまずにやれなきゃ教員はやれないよな…って感じた。

 

 

だから、前述の高校の先生からいただいた問いの答えが見つからなかったのだ。

たぶん、それを解決するのは「上」に行くか、受け入れるか、辞めるかしかないような気がした。

 

 

中にいて「学校」を変えられなかった僕には、学校を変える方法がわからないんだな。

 

 

でも、一番簡単なのは転勤かもね…。

 

 

職場が変わるのを待つより、職場そのものを変えた方が早かったりする。

だから、学ぶ場所を選べない子どもたちの苦しさがよくわかるのだ。

 

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。