「与える」は自分を満たしてからだよ。

「聴くは与え、話すは奪う」
なるほどと思い読ませていただきました。
https://happy4teacher.com/?p=4556
「くればやし先生のスベらない話」
というコーナーでは、
子どもたちが聞いてエネルギーを
もらっていたんですね。
https://happy4teacher.com/?p=1148
『話すは奪う』
くればやし先生の朝の会は
『話すは与える』
になっていたんですよね
この違いはなんだろう?と
考えています。
答えはカンタンだよ。
俺、説教とかしないもん。
みんなが笑って朝から元気になればいいやってだけで話してたの。
みんなを満足させるために話してた。
「学校の先生っぽい話」とか、してないから。
「ほら、俺、良い話してるだろ〜っ?」みたいなのない。
超絶くだらない話しかしてない。
だって、これは一方的なスピーチだから。
僕がね、「聴くことが与えるだよ」って言ってんのはさ、対話だよ。
たとえば、子どもが相談に来るでしょう。
そうすると、先生は子どもの話を聞いて、自分でジャッジして、アドバイスをすぐに送りたがる。
ところがさ、アドバイスは添加物なわけよ。
https://happy4teacher.com/?p=6219
ところがさ、先生ってのは「先生が上で、児童生徒が下」と思ってる。
自分の方が優れていて、子どもには何かを「教えなければならない」と思ってるわけ。
だから、結構僕の書いてることに反発を覚える先生は多いんだよね。
お前ら、子供より先に生まれただけだから。
別に先生が上で子どもが下なんてことはないんだよ。
すぐ、アドバイスをしようとするけどさ。
まずはよく聴くんだよ。
昔ね、ある女の子がね、「先生、聞いて♫」って言ってきたの。
僕は自分の手を止めて、「うん、いいよ」って答えたんだ。
そして、教卓の横にあるパイプ椅子に腰を下ろさせたんだ。
彼女はね、お母さんとの折り合いが悪かった。
だから、お母さんの話をずっとしてたんだ。
それで、僕は尋ねたんだ。
「先生にどうしてほしい?」ってね。
そしたら、彼女はこう言った。
「先生、もっと話を聞いてほしい」って。
僕は「いいよ」って答えた。
それから30分ぐらいかな。
家でのお母さんの様子、お母さんとのやりとり。
いっぱいいろんな話をしてくれた。
僕はそれをただただ聞いていた。
時に質問を交え、彼女の話を引き出した。
僕の考えなんて伝えない。
僕はただ聞いていただけだった。
会話が途切れたので、僕は再び尋ねたんだ。
「どう?満足できた?」
そしたら、彼女はこう言った。
「うん、満足した。大丈夫!」ってね。
それで、僕はこう話したんだ。
「また、おいでよ♫」
彼女はニッコリ微笑んで、席を立った。
それだけ。
僕がやったのは、ただ聴いただけなんだ。
何も解決なんてしてないよ。
アドバイスもしてないよ。
それでも彼女は満たされたのさ。
彼女の問題を解決するのは彼女なんだ。
これは僕の問題ではない。
そこを僕は明確に切り離している。
そして、彼女には自身の問題を解決するだけの能力があると、僕は信じている。
神様はその人に解決できない問題を用意していない。
だから、目の前の人のエネルギーさえ満たしてあげれば、必ず課題を克服できる。
僕は子どもを信じているからこそ、アドバイスなんてしない。
「お前はどうしたいの?」
「お前にできることはなんだよ?」
それしか尋ねない。
朝の話も一緒だな。
子どものエネルギーを満タンにする。
それだけでいい。
エネルギーを奪う先生が多いんだよ。
与えるって難しいよ。
与えるために大切なことがある。
それはね、自分自身を満たすことだよ。
子どもの話を30分聴く。
ただ聴く。
どんなに忙しくとも、手を止めて児童生徒の話に集中する。
それはね、それをしている自分が好きってこと。
ただそれだけ。
子どもの言葉に耳を傾けてる自分が好き。
その瞬間こそが先生をやっててよかったなぁって思う瞬間。
まず、与えるが先。
でもね、満たされていないと与えることはできないんだよ。
あなたに贈る魔法の質問
どんな自分が好きですか?
