フロー状態で志事をすると、教室は変わる!
これまで求められていた能力
これまで求められていた能力は、決まったことを決まった通りにやる能力でした。
そういうことを、僕らは学校教育で学んできました。
決められたことを覚えたり、決められた作業をしたり。
それをテストされ、できたかできないかを評価される。
「正しいか正しくないか」の時代には、それでよかったんです。
これは正しい。
これは正しくない。
ちゃんと決まっていたから。
モノカルチャーだったころにはそれでよかったの。
多様な価値観なんてものが存在しなかった時代ね。
いい高校行って、いい大学行って、いい会社入って。
結婚して家を買って、子どもを二人育てて。
年に1回海外旅行して、保険に入って、定年後は年金がちゃんともらえて。
そういうことが成功モデルだった時代にはね、「決まったことを決まった通りにやる能力」が大事だったの。
それが、「良い」とか「悪い」とかじゃないんです。
その時代には、その時代ごとの求められる能力があるんです。
新しい時代に求められる能力って何だろう?
ところが、時代は大きく変わりました。
インターネットは国と国との垣根をなくし、従来一方通行だった情報は、双方向のやり取りが可能となったことで、だれもがメディアになることを可能としました。
価値観が多様化されたのです。
それに従って、「正しいか正しくないか」の時代は末期を迎えることになりました。
これからは「ワクワクするかしないか」の時代なのです。
過去の記事はコチラ→ワクワクすること
「みんな違ってみんないい」って時代なのです。
過去の記事はコチラ→みんな違ってみんないい
そんな時代に必要なのは、フローになるってことなんです。
やりたくもないことを、意思や義務感で努力する。
そういう働き方が、僕らを苦しめているのです。
「こうしたい」という魂の声に耳を傾け、意図的にフロー状態をつくっていくんですね。
過去の記事はコチラ→フロー状態になる
寝食を忘れて没頭する志事が教室をハッピーにする
僕は、シゴトを志事と書くのが好きです。
まさに、フロー状態で自分が心から「やりたいこと」をやっているとき仕事は志事に変わると思っています。
「志事とは、寝食を忘れて没頭する遊びである」
これは、大辞典型ブログ版『ハッピーな先生のハッピーな教室』の生みの親、カイエダミエさんから教わった言葉です。
そうなんだ。
フロー状態で志事をするってことは、遊びなんだ。
良質な遊びなの。
こんなこと書いたら、叱られるかもしれないけれど、心から楽しんで志事をしたらね、それは遊びなの。
ハッピーな先生になるためのしつもん
子どもたちと過ごしていて、フローになる瞬間はどんなときですか?
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