全員相互評価社会を生きるって息苦しいよね。
現代社会は情報過多である。
昨今は口コミサイトで情報を得ることが多い。
「食べログ」やamazonのレビューなどは、大変参考になる。
ところが最近思うのは、「レビューしている人」のライフスタイルがわからない中で、レビューは役に立つのだろうか?ということである。
先日、とんでもないホテルに泊まった。
ビジネスホテルにはよく泊まるし、都会ではサウナに泊まることもある。
カプセルホテルも平気なタイプだ。
だが、正直、「ちょっとないな…」というビジネスホテルだった。
なんと言っても薄気味悪い。
が、レビューを見ると、概ね好意的な意見が寄せられていて驚いた。
飲食店の☆を見ると、☆5の人から☆1の人まで様々だ。
よくよく考えれば、高級料理店しか行かない人の舌と毎食ファーストフードで満足な人の舌では違うだろう。
ブックレビューも同じだ。
読解力のある読書家と、「積ん読」ばかりのエセ読書家では、その信ぴょう性は異なってくる。
☆5つのわりには、薄っぺらい内容の本もあったりする。
現代社会は評価社会である。
他者の評価を見て、購買を決めることが多い。
これからは、レビューする側も評価される時代が来るのだろう。
相互評価社会はすでに始まっている。
配車アプリであるウーバーは、乗客が運転手を評価する一方、運転手も顧客を評価する。
評価の低い顧客を乗せたい運転手はいないだろう。
もしかしたら、「食べログ」もユーザーを店舗側が評価する時代が来るかもしれない。
「お前に食わせる飯はない!」と言われる時代が来るのだろうか。
他者の評価を気にして生きるのは、なんとも息苦しい社会だと思う。
インターネットとSNSが普及し、誰もが発信者になれる時代になった。
すると、今度は誰もが批評家になれて、誰もが評価者になれる時代になった。
ドラマ「スクールウォーズ」が再放送できないらしい。
教師が生徒を殴るシーンが今日のコンプライアンスに引っかかるらしい。
僕らがまだ「誰もが発信者になる時代」の住人ではなかった頃。
けっこうテレビ番組は「教育上よくない番組」が多かった。
ゴールデンタイムにもおっぱいポロリがあったし。
日曜日の昼間から生着替えなんてあったりもした。
きっとコールセンターには苦情の電話もあっただろう。
だが、その程度のことである。
ネット上で何万人もの人の怒りの導火線に火がつき、大炎上を起こすなんてことはなかったわけだ。
昨今は不買運動なんかも盛んで、そういう大衆の空気を恐れて、やたらコンプライアンスを気にするようになった。
なんだか生きづらい社会だな、と思う。
情報過多になって、僕らは逆に情報の取捨選択を迫られるようになった。
多すぎるのも不便である。
そこでレビューサイトが生まれた。
情報が整理されるようになった。
だが今度は、情報の真偽を確かめる必要が出てきた。
また、情報には鮮度もある。
便利になった反面、まことにややこしい時代になったと思う。