目に見えないものを見つめたら、この世界は優しくなれる。
僕らは目に見えるもの、耳に聞こえるものだけを信じてしまう。
だが、人間関係を築くうえで大切なことは、目に見えないもの、耳に聞こえないものなのではないか。
樹木だけを見ていては、大切な根っこに気がつかないように。
大海原に浮かぶ氷山を見ていては、その下に眠るさらに大きな氷の塊に気がつかないように。
見えない部分に目を向ける。
これが大切なのだ。
以前、僕のクラスに暴れん坊の男の子がいた。
ボンタンに短ラン。
金髪。
目が合えば殴りかかる。
声をかければ悪態をつく。
そんな男の子だった。
学校に来れば、校門で追い返される。
「そんな服装じゃダメだ」と言われ、
「お前なんて来るな」と言われ、
不良少年のレッテルを貼られていた。
学校に来ては暴れる。
そんなことを繰り返す彼に、僕は疲れ果てていた。
それで暴れる彼に
「お前、いい加減にしろよ!」
と怒鳴りつけた。
そのとき、彼が一瞬寂しげな表情を見せたことを僕は忘れない。
そして、こう叫んだのだ。
「お前も俺に来てほしくないんだろ!」
僕はその瞬間、とても後悔した。
そうか、この子の言動はすべて「僕を愛して」だったのだ。
他と異なる服装も、他と異なる髪型も、他と異なる言動も。
すべては、愛されたいがゆえの、いびつな自己表現だったのだ。
ボンタンも金髪も悪態も、目に見える世界である。
僕らはそれを見て、「この子は不良だ」とジャッジする。
だが、その根っこにあるものは何かに目を向けてみると、まったく異なる世界が見えてくる。
子どもだけではない。
夫婦も同じ。
職場も同じ。
ぜんぶ、同じなのだろう。
僕らは表現者である。
だが、表現下手でもある。
だから、地表に見えている樹木だけでなく、その下に隠れた根っこを眺められたら、この世界はもっと温かくなるんだろうなぁ。