「察する」ということが廃れていく中で
この国の文化は「察する文化」です。
「みなまで言うな」の文化なのです。
ところが昨今はどうも、この「察する」という能力が低下しているように思えます。
まあ、損得の時代になりましたな。
「察する」とどうも仕事が増える。
損得で言えば損。
バカのフリして気づかぬ方が何かと都合がよろしいのでございますな。
奥さんが困っている。
「おお、手伝おうか?」なんて察しのいい旦那もいますがね。
そうやって、あんまり察しがいいと、今度は女房が図に乗る。
やれ、あれをやってくれだの。
やれ、これをやってくれだの。
まあ、そんなわけで、家庭においても、職場においても、察しの悪い人が増えてきましたなぁ。
「あぁ…、困ったわぁ…」なんて言う。
関わりあっては面倒と、見て見ぬふり。
それから、聞こえぬふり。
だから昨今はね、「リクエストをちゃんとしなさいよ」なんてアドバイスを女性陣に送るわけです。
言わなきゃわかりませんよ、って話なのです。
察しが悪いんじゃない。
察しないように努力してるんですからね。
ちゃんとリクエストしてあげたら、もう察さないわけにもいかないってなもんよ。
目に入って耳に入ってんだからね。
そっちが察しないつもりなら、こっちが察しさせてあげようってなもんよね。
まあ、こうやってね、合理的だの、効率的だの、損得だの。
そんなつまらないことが、私らの周囲を覆い尽くしてからというもの、まあロクなことがないんだよね。
以心伝心。
言わずもがな。
察する文化の日本でございますよ。
言葉はなくとも、相手の気持ちを察することができる。
思いやりの国の住人でございますよ。
いやはや、もっとあたたかい国でございましたな。
電車に乗っていたら、満員電車にご老人。
立ったまま、立たせたまま。
優先席に座るサラリーマンや学生。
ここまで来ると、「察する」を通り越して「図々しい」の一言。
で、まあ、それに関わり合っちゃ、また面倒臭いと周囲も知らぬふり。
いつからでしょうな。
この国がこんなことになってしまったのは。
令和最初のお正月。
あたたかい国でありたいものです。
あたたかい年でありたいものです。