「学校の先生」だけで人生を終えたくなかったんだ

くればやし ひろあき

50代で教頭になって校長になる。

そこまでの姿は明確に想像できた。

 

 

ただでさえ、同期の先生が少ない世代。

地元で最も荒れた中学校で生徒指導主事を務めたあと、文科省から派遣され海外赴任。

 

 

まあ、出世はするよね、って思った。

 

 

こちらの地元では、校長を退職したあとは、高等学校の先生になることが多かった。

渉外担当となって、中学校とのパイプ役になる。

そんな仕事だ。

 

 

そのあとは、美常勤や常勤の講師として教育現場に戻る。

そんな定年後の働き方も想像できた。

 

 

 

気がつけば70代。

きっとあっという間だ。

 

 

人は安心と安定を求めるけれど、僕にはそれがとても味気ないものに思えた。

 

 

70歳までの働き方が見えて、生涯の年収が見えて、身の丈にあった暮らしをしていく。

その後は、年金を頼りに余生を過ごす。

 

 

そうやって、死ぬまでの生き方を想像したとき、僕はゾッとしたのだ。

 

 

「そんなの、俺じゃなくてもできるじゃん…」

 

 

そう思うと生きていることが虚しかった。

 

 

教育現場で多忙を極めていると、時折「俺がいなかったら、この職場はダメになる」という錯覚を起こす。

 

 

それで仕事を休めなくなる。

熱があっても身体が動くなら働く。

そんな教師は多い。

僕もそんな教師のひとりだった。

 

 

けれど、やむを得ず休んだとき、自分がいなくても職場が回っていることに愕然とした。

「自分じゃなきゃダメ!」なんてのは幻想。

夢や幻。

 

たぶん僕なんかいなくても、代わりの誰かがやってきて、仕事は回ってしまう。

 

 

僕はコマの一つで、歯車の一つ。

替えのきく消耗品でしかないのではないか。

 

 

そう思ったとき、僕は生き方と働き方について考えるようになった。

 

 

人生は一度きり。

アンコールはない。

 

 

「学校の先生」として一生を終えるのも、ひとつの生き方。

でも、僕はその生き方がピンと来なかった。

 

 

仕事のスピードは異常に早い。

通知表なんて6月には完全しているし。

授業の準備だって、ほとんど時間をかけなくたって抜群にうまい。

 

 

自分の学級に限れば、生徒指導の案件なんてほとんど起こらない。

「学校の先生」という仕事に不満はない。

 

 

そういう教員には、恐ろしいほどの「校務分掌」が割り当てられる。

校長や教頭といった管理職場は、本来マネージメントを行うのが仕事である。

 

 

だが、多くの管理職はマネージメントに長けていない。

できる先生の仕事を増やし、できない先生の仕事を減らす。

育てるのではなく、できない先生はできないままにしておく。

 

 

そうやって切り捨てる。

それを配慮だと思っている。

 

 

そういう学級経営をしてきたのだろう。

そして、そのレベルの教員がマネージメントする側に回っている。

 

 

そんなことも多いのではないか。

結果として、僕は「校務分掌」に追い込まれていくことになる。

 

 

学年主任、進路指導主事、学級担任、研修部長、国語主任、図書主任。授業2学年行って、学年だより書いて、学年会計までやらされて。

修学旅行の細案もつくり、当然生徒指導もする。

 

 

そのくせ、給料は年功序列。

仕事の量と質は給料に反映されるわけではない。

 

 

そんな多忙な仕事の中、今度「クレーム対応」が増え出した。

 

 

僕へのクレームではない。

他の教員のやらかしたことへのクレームを僕が聞くことが多くなった。

 

 

使えない教員というのは、クレーム対応すらできない。

「あの先生に言ったってわからないから、くればやし先生に言ってるんじゃないですか!」

 

そんな電話をよく頂くようになった。

残念だが保護者が言ってもわからないようなバカは、俺が言ってもわからないバカだ。

 

 

そして、そういう電話にも疲れたし、そういう電話をもらってるのに、自分の落ち度に気がつけない教員にも疲れてしまった。

 

 

そう。

ここは僕の居場所ではない、と思った。

僕じゃなくてもいいのだ。

 

 

そのことに気がつけた瞬間、僕は次の人生に向けてスタートを切ることができたのだった。

 

 

嫌で先生を辞めたわけじゃない。

僕は「学校の先生」という仕事が大好きだった。

 

 

でも、「もうここにいちゃダメだ!」という気持ちにさせられることが次々に起こったのだった。

 

 

命は運ばれるものだ。

目の前のことに一生懸命生きていたら、運ばれるのが運命だよ。

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。