逆に言うけどさ、白黒つけたがる正義の味方が一番悪いやつだと思うよ。


選んで生まれてくる論

子どもは親を選んで生まれてくる。

お空でお母さんや家族を選んで生まれてくる。

 

 

そんな話をよく耳にする。

そのことに対して、賛否両論あるようね。

 

 

子育てに悩むママたちに言う。

「赤ちゃんがあなたを選んで生まれてきたのよ」と。

 

 

それはそれでいいんじゃないかな、と思う。

 

 

一方で、児童虐待に苦しんでいる子どももいる。

その子たちに、「赤ちゃんがあなたを選んで生まれてきたのよ」と言うのは残酷である。

 

 

こんなものに正解はない。

ダブルスタンダードでいいじゃないか、って思うんだよね。

 

 

この世界には賛否両論しか存在しない。

誰もが「正しい」と言う意見など、ほとんど存在しない。

 

 

ハンバーグですら嫌いない人がいる。

パクチーなんて完全に雑草の味がするのだれど、あれを「美味しい」と言う人もいるし。

 

 

ちなみに、雑草を食べたことはない。

そういえば、「カメムシの味がする」って言ってた人がいた。

あの人はカメムシを食べたこと、あるのだろうか…。

 

 

この世界は自分を映す「鏡」説

この世界は自己の投影。

思考が現実化しただけ。

 

 

そんな話をときおり耳にする。

「その現実を選んでいるのはあなた」ってヤツだ。

 

 

で、先日離婚した女性から相談を受けた。

旦那が不倫して外で女をつくったらしい。

 

 

ある人に相談をしたら「その現実を選んでいるのはあなた自身よ」と言われたらしい。

まあ、そんなこともあるのかもしれない。

僕にはよくわからないけれど。

 

 

で、この話には続きがある。

外で女をこしらえてセックスしちゃった旦那もこう言ったらしい。

 

 

「その現実を選んでいるのは君自身だよ」

 

 

すげー暴論だな…と思った。

これ、つまり、誰が言うか、もポイントだよね。

 

 

世田谷一家惨殺事件のニュースに想う

サウナで一人、ぼんやりテレビを眺めていた。

NHKのドキュメンタリーで、世田谷一家惨殺事件を取り上げていた。

 

 

2000年、8歳と6歳の子どもを含む4人家族が何者かに惨殺された事件である。

ドキュメンタリーでは、その家族の祖母にスポットを当てていた。

 

 

19年の間、家族の死を受け止めきれずにいたおばあちゃん。

事件現場の家が老朽化し、警察から取り壊しを打診されたそうだ。

 

 

事件以来、その家に近づいたことはなかった。

行けば、息子夫婦と孫の死を現実として受け止めねばならない。

 

 

今も毎朝近くの森に行き、孫たちのためにどんぐりを拾ってくると言う。

亡くなったのはわかっている。

わかってはいるけれど、受け入れることはできない。

 

 

そんなおばあさんの心が痛いほど伝わってくるドキュメンタリーだった。

もし自分だったら、我が子が殺されたら。

そう想像するだけでも苦しくなる。

 

 

「それを選んでいるのはあなた」とも「その家族を選んだのはあなた」とも言えない現実。

そういうこともあるのだと思う。

 

 

霊能力は自己申告

世の中には賛否両論あるものしかない。

それを戦わせるだけ無駄である。

 

 

白黒つけるタイプの議論は何も生み出さない。

互いに疲弊し、傷つけ合うだけである。

 

 

そんな議論の一つに「幽霊はいるか、いないか」なんてものがある。

 

 

ときおり、「見える人」に出会う。

本当に見えるのか、見えないのか。

それは確かめようがない。

 

 

ただ、僕はお願いをしている。

「我が家に来たら、絶対言うなよ」と。

 

 

見えても言わなくていい。

その情報、俺、いらない。

 

 

イヤじゃん?

言われてみ。

 

「あの窓の下に女の子がいます」とか。

 

夜、トイレに行けなくなるから。

その情報いりません。

 

 

「見える人」は「霊はいる」と言い、科学者は「そんなものは存在しない」と言う。

僕は、そんなことはどっちでもいい。

でも、我が家にいるとか言うのだけは勘弁してほしい。

 

 

その情報はいらない。

賛否はどっちでもいいけど。

 

 

「…ってことは、いると思ってるんでしょ?」と思ったあなた。

そういう意味じゃないんだけど、伝わるかな。

 

 

だいたい霊能力なんてものは自己申告制度を採用されている。

真偽のほどはわかりようもない。

 

 

「見えてる」って言うんだから、「見えてる」でいいんじゃないかな、って思う。

で、科学的には「いない」みたいだから、「いない」でいいんじゃないかな、って思う。

 

 

つまり、いないんだけど見えるんだね。

もう、それでいいじゃん。

そこ、どうでもいいじゃん、って思う。

 

 

正義の押し売り

どっちでもいいことは「どっちでもいい」と言えたら楽なのにな、って思う。

 

 

ところがどうやら世間の人は違うようだ。

 

 

自分と異なる意見や価値観と出会うと、僕らはそれを否定したくなる。

だから、ツイッターなどを眺めていると、よく炎上している。

 

 

一つの意見は一つの意見として、(こんな考え方をする人もいるんだな〜)って思いつつ、スルーすればよろしい。

ところがどっこい、「そんなの間違ってる!」と意見表明したい人が多くて不思議だ。

 

 

これはもう、「野球とサッカー、面白いのはどっち?」みたいな議論と同じだ。

野球好きは野球の魅力を語り、サッカー好きはサッカーの魅力を語る。

互いの溝は埋まることがない。

 

 

「結局、両方とも面白いよね」って言えたら最高なのに、どうも白黒つけたがる。

 

 

議論すると、高尚な人間になったかのような錯覚を覚える。

マウンティングの対象を見つけ、騎乗位…じゃなくて馬乗りになって、「俺は正しい」と意見を表明する。

 

 

そんなつまらないことにエネルギーを注ぐのは無駄に思えるのだけれど。

それって案外気持ちがいいらしい。

 

 

公開マスターベーションのようなもので、インターネット上にはそんな人が多く存在する。

「正しさ」を押し売りする正義の味方が後を絶たない。

 

 

悪を見つけると徹底的に叩こうとする文化がこの国にはある。

抑圧された気持ちを発散するかのように、絶対的に安全な場所から叩く人たち。

 

 

そんな人たちの負のエネルギーや拡散力って凄い。

正義って怖いよなって思う。

 

他に話し合うことないの?

世田谷一家惨殺事件のドキュメンタリーの後は、ニュース番組だった。

臨時招集された今国会の争点が話題だった。

 

 

「桜を見る会」の問題。

政治と金の問題。

相変わらず、そんなことが争点らしい。

 

 

えっ?国会って今後のこの国の行く末を決める場所じゃないの?

そんな話、他でやったらいいのにね、なんて思う。

 

 

今国会前にいろいろなことが永田町で起こった。

IRの賄賂の話とか、公職選挙法違反とか。

 

 

それで、数ヶ月ぶりに国会議事堂に顔を出した議員さんが数名。

それまで雲隠れしたらしい。

 

 

いい職業だな…と思った。

「そんなことはけしからん!」と思った人の方が多いだろうけど、僕はなんとなくこんなに休んでお金がいっぱいもらえるって凄いなぁ…と思った。

 

 

国会議員って、すぐ責任取って大臣は辞任するけど、何があっても議員は辞職しない。

おいしいんだろうな、実際。

 

 

でも、参議院議員で6年、衆議院で4年。

衆議院に至っては、突然総理大臣が「解散します」と言ったら、リストラされるわけで、不安定極まりない仕事とも言える。

 

 

「やりたい」とは思わないから、やってくれる人がいるのはありがたいよね、とも思う。

 

 

政治に興味がないわけじゃないけど、う〜ん、やっぱそんなに興味ないのかもな。

選挙には一応言ったけどね。

 

 

俺一人が選挙に行くか行かないかで、この国は変わらないよね。

でも、実際、こういうことを書くと、叩かれる。

反感を買われる。

 

 

やっぱ、正解は「一人ひとりの一票がこの国を変える」と言うべきなんだな。

言うべきなんだけど、僕はそう思ってなくて、そう思ってないってことを言うと叩かれるわけ。

 

 

この世界には、そんなことが山ほどある。

だから、空気を読んで自分の気持ちに蓋をするんだよね。

 

 

いや、実際、10万票のところに俺が一票追加しても10万1票だからね。

やっぱ大勢に影響はないわけだが、やっぱそういうことを言うのは「けしからん」わけですな。

 

 

白黒つけない

この世界は白でもない、黒でもないものばかりだ。

白黒つけなくてもいい。

 

 

あの人には白く見えて、この人には黒く見える。

じゃあ、シマウマみたいなもんだね、って感じじゃん?

 

 

自分と異なる意見と出会ったとき、「へえ、そうなんだ…」でいい。

「それ、おかしくない?」とか「違うと思うよ」とか、いらない。

 

 

「へえ、そうなんだ…(僕は違うけどね)」でいいのだ。

いちいちファイティングポーズを取られると面倒臭い。

 

 

みんなストイックすぎるのだよ。

議論したらよくなるパターンってのはさ、同じ方向を向いてる者同士が話し合うパターンだけでさ。

 

 

そもそもスタンスが異なるから見え方が異なるわけ。

スタンスが違う以上、話し合っても戦争になるだけなんだよね。

「根底が違う」ってやつね。

 

 

だからさ、僕はもっとユルく生きたい。

信じたものを信じればいい。

大切にしたいことを大切にすればいい。

 

 

そう思うんだよね。

 

 

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。