本当は愛されたい自分
十六年の間、中学校の先生として働いてきました。地元で最も荒れた中学校で生徒指導主事を務めたあと、文部科学省から派遣され世界最大の日本人学校である上海日本人学校に赴任しました。
そこでも、生徒指導部長として思春期の子どもたちだけでなく、「校長出せ!」と乗り込んでくる保護者の対応など、普通の先生が手を焼く人たちと関係性を作り続けてきました。
火中の栗を拾うように、皆が手をこまねくような事態にあえて飛び込んできました。
また、退職後はクラウドファンディングをして映画上映ツアーを行いました。九月一日は子どもたちの自殺が最も多い日だそうです。
「夏休みに何かできないだろうか」
そう考え、命の大切さを伝える映画の上映会をしようと考えました。実に百人の支援者から八十万円の資金をいただき、県内八会場で映画上映を行いました。また、ご後援いただいた市の教育委員会を通じて、「命の尊さ」をテーマにした映画チラシを配布させていただきました。
その後、全国で講演会や講座を開催。北は北海道から南は沖縄まで。全国津々浦々、お仕事をさせていただきました。
2018年、2019年には『子育て万博』というトークイベントを開催しました。このイベントはスタッフだけで大人七十人、子ども六十人。来場者と合わせると三百人近くになる、大きなイベントです。
まだ、僕が上海で暮らしているとき、その事件は起こりました。
三歳の女の子が餓死をする、そんな事件でした。母親と、その内縁の夫から食事を与えられず、餓死をしてしまったのです。少女の体重は、平均的な三歳児の半分ほどしかなく、彼女の胃袋からはアルミ箔やロウソクのロウ、玉ねぎの皮などが見つかったと言います。母親は十八歳でした。
当時、我が子も同じく三歳。僕の膝の上で眠る彼の寝顔を眺めながら、そのニュースを知り、僕はポロポロと涙を流しました。
どれほど心細くひもじく、そして悲しかったことでしょう。
ネット上にはこの母親を誹謗中傷する、たくさんの言葉が躍りました。彼女は十八歳でした。
「親の資格がない」
「十八歳で子どもを産むなんて」
そんな言葉が並びます。三歳の少女に悲しみを覚える一方で、この母親に対する怒りの感情は湧いてきませんでした。
その後、この少女には先天的な障害を抱えて生まれてきたことが明らかになりました。思ったように生育せず、歩行をままならない。そんな重い障害でした。
自らが十八歳のときを思い出す。あのころの僕が、歩行すらできない重い障害を抱えた子どもとともに暮らす姿を想像します。
経済力もない。知恵も経験もない。身体は大人でも、ココロはまだまだ子どものあのころです。
児童虐待に対して、厳罰化を求める声もあります。でも、僕はそうは思えません。この少女を救いたければ、この母親こそを救わなければならないと思うのです。
もしもこの母が、同じ障害を抱えた子どもを育てた別のママ友と出会えていたら。彼女の気持ちを理解し、共感し、手を差し伸べたら、違う結果が待っていたのではないか。
そんな仮説のもと、企画したのが『子育て万博』でした。きっと幼い日の僕が、大人の僕の背中を押したのだと思います。
その後、次から次に企画を立ち上げる。呼ばれれば全国に飛んでいく。慌ただしくも楽しい毎日が始まりました。
その原動力はなんだってのでしょうか。
今ならわかります。僕は愛されたかったのです。がんばれば愛される。がんばらなければ愛されない。
人間がなぜがんばるのか。
その正体は「愛されたい」にあるのだと気づきました。
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