コロナウイルスとともに生きる


インフルエンザって不思議だ。

学校でも何年に1回は学級閉鎖になるクラスがあった。

 

 

だいたい10人くらい、インフルエンザで出席停止になると、学級閉鎖を検討する。

何が不思議って、同じ教室にいても、インフルエンザにかかる人とインフルエンザにかからない人がいることだ。

 

 

また、流行る教室と流行らない教室があることだ。

1人がかかったらどんどんかかるか、というとそうでもない。

 

 

かかる子どもとかからない子どもがいる。

当たり前といえば当たり前なんだけど、不思議なもんだなぁ…と思う。

 

 

新型コロナウイルスで亡くなった方は4月4日までで69人にだそうだ。

ちなみに、日本の自殺者は2018年、20840人。

交通事故で死亡した人数は3215人。

 

 

厚生労働省の調べによれば、悪性新生物<腫瘍>で亡くなった方は37万3547人。

次いで、心疾患(高血圧性を除く)で 20 万 8210 人となっている。

ちなみに、肺炎で亡くなっている人は9万4654人もいる。

 

 

ふと、思った。

最も亡くなるの「癌」である。

今のコロナウイルスのように、「本日検査で癌が発見された人」と「癌で亡くなった人」をニュースで毎日流したら、たぶん今と同じような雰囲気になるのではないだろうか。

 

 

国立がん研究センターによれば、2018年に癌で死亡した人は37万3,584人。

2016年に新たに診断された癌は995,131例だそうだ。

つまり、1ヶ月に83000人が癌と診断され、31000人が亡くなっている計算になる。

 

 

これを毎日報道されたらどうだろう?

ワイドショーで取り沙汰され、ニュースは癌関連のニュースばかりになったら。

たぶん、僕らは「癌、ヤベー!」ってなると思う。

 

 

交通事故だって毎月300人ぐらい亡くなっている。

そのことを煽り続けたら、怖くて道路を歩けないし、子供だけで分団登校なんてさせられない。

 

 

もちろん、癌も交通事故も人から人に感染ることはない。

人から感染るかもしれないし、人に感染すかもしれない。

それが人々の恐怖を加速させている。

 

 

志村けんさんが亡くなったことで、一気に「自分事化」された感じがする。

当事者意識、と呼んでもいい。

 

 

無名の人たちが亡くなるニュースは、どこかテレビの向こう側の世界のようでピンと来ていなかったことが、有名人の死をきっかけに急に恐怖が湧いてきたように思う。

 

 

もともと、コロナウイルスの怖さは変わっていないのに、急に恐怖が増した感じだ。

 

 

意識というのは不思議なもので、意識すると恐怖が増す。

夜にお墓の周りを車で走っているときは何も感じないのに、助手席の女の子が「なんか夜のお墓って怖いよね」って言った瞬間に、急に怖くなる、あれと一緒だ。

 

 

たぶん、癌や交通事故だって十分怖いし、心が病めば自殺する可能性だってあるのだけど、「まさか自分が…」と思って意識しない。

意識しないと怖くない。

 

 

未成年の子供たちが平気でショッピングモールに集まっていると聞く。

「けしからん!」と大人が憤る。

先日、大相撲が千秋楽を迎えたスーパー銭湯に行ったら、大量の高齢者がテレビの前で濃厚接触していた。

子供だけでなく、かかったら命に関わるようなお年寄りだって、「自分はかからない」と思っている。

 

 

こういう空気だって、有名人が亡くなったり、身近な人が亡くなったりして、「自分事化」して初めて気づくのだと思う。

たぶん、若者の死をきっかけに若者たちの自粛ムードが進んだり、学校の休校が拡がるのだろうと思う。

 

 

 

さてさて、ワクチンの開発には1年半〜2年もの月日が必要だと言う。

つまり、僕らはその間、コロナウイルスと付き合っていかなければならないのだ。

 

 

今、みんなが自粛ムードを作り、不要不急の外出を避け、オーバーシュートを懸命に抑えている。

国民が一丸となってコロナウイルスの感染拡大を抑えることは大切なことだ。

 

 

だがしかし、この自粛ムードを解禁すると、また一気に感染拡大が始まる。

つまり、感染拡大を抑えたら、今度は自粛ムードを自粛モードに切り替えて、再び感染拡大しないようにしていくことが必要になる。

 

 

そうなってくると、社会は完全に詰んでしまうように思う。

今、国民にお金をいくら配るか、が話題になっている。

みんな現金が欲しいから、あーだこーだと議論している。

 

 

でも、思う。

 

 

この状態、1ヶ月や2ヶ月で終わるのだろうか?

そんな保証はどこにもない。

ワクチンの開発に1年半〜2年もの月日が必要な以上、その間も僕らはコロナウイルスと戦いながら経済活動を続けていく必要がある。

 

 

現金をもらって1ヶ月・2ヶ月を凌いだら生き抜けるだろうか。

それはおそらく延命措置であって、抜本的な解決にはつながらないように思う。

 

 

最近、ビフォーコロナ(コロナ前)とアフターコロナ(コロナ後)の話をよく耳にする。

いや、待て、と思う。

たぶん、コロナとはこれから数年はともに生きていく必要が出てくる。

 

 

ここからの数ヶ月、いかにオーバーシュートを避けながらコロナとともに生きていく準備をするか。

国や地方行政がなんとかしてくれるわけではない。

自分自身のその頭で考える必要があると思う。

 

 

夏場に一度落ち着いたとしても、冬になればまた再燃するのだろう。

ワクチンがあるインフルエンザですら、毎年流行し2018年だけで3325人が亡くなっている。

 

 

耐えて凌ぐには、限界があると思うのだ。

アフターコロナを考える前に、コロナといかに付き合いながら経済活動をしていくかを考えることの方が大切だと思う。

 

 

…となると、なんでも自粛、自粛、自粛では社会は詰む。

インフルエンザで学級閉鎖をするような教室は、当然密閉空間の中にウイルスをもった子どもたちがたくさんいて危険な状態である。

でも、インフルエンザにかかる子どもと、かからない子どもがいる。

 

 

いかに、かからない態勢を整えて、できるだけ通常の生活に戻していくか、を考える必要がある。

手洗いや消毒など清潔な暮らしをし、適度な運動、きちんとした食事、十分な睡眠などなど。

改めて考えると、人間が生きるうえ大切なことをちゃんと大切にしていくことが大事だな、と思う。

 

 

 

そのうえで、マスクをするなど予防に努め、経済活動を再開していくことが大事だと思う。

軽んじてはいけないが、必要以上に恐怖を感じる必要もない。

僕は今、そんなことを考えている。

くればやし ひろあき

・株式会社ミナクル組織研究所 代表取締役

・フォロワー10万人の教育系TikTokクリエイター「くれちゃん先生」としても活躍中。人間関係や教育についての動画を配信

・1978年、愛知県生まれ。16年間公立中学校の教員として3,000人以上の子どもたちを指導。名古屋市内で最も荒れた中学校で生徒指導の責任者を務め、その後、文部科学省から上海に派遣され、当時世界最大の日本人学校であった上海日本人学校の生徒指導部長を務める。

・互いの「ものの見方や感じ方の違い」を理解し合うことで、他者に寛容な社会を実現したいと願うようになり、2017年独立。

・独立後は、教員時代の経験を活かし、全国の幼稚園や保育園、学校などで保護者向け講演や教職員研修を行う。2018年・2019年には、100人のボランティアスタッフを束ね『子育て万博』を主催。今年10月にパリコレクションのキッズ部門を日本に誘致して開催された『Japan Kids Fashion Week2021』において、全体計画及びキッズモデル・ボランティアスタッフ総勢150名のマネジメントを担当。

・2020年11月、「スタッフみんなが、明日も生き生きと来る!」を理念に、株式会社ミナクル組織研究所を設立。経営者、教職員、スポーツ指導者など、組織のトップや人を指導する立場の人たちから依頼を受け、人間関係づくりやチームづくりに関する講演や企業研修、教職員研修を行っている。経済産業省の事業再構築事業として人材分析システムを開発中。