目の前の人を喜ばせることを喜びにできているか?
目の前の人を喜ばせるために何ができるだろう?
僕はいつも、自分にこれだけを問いかけている。
でも、この「問い」は一歩間違えると、自己犠牲になりやすい。
「誰かのために」「誰かのために」とがんばった結果、心をすり減らす。
そんな人も多いみたい。
もしくは、「こんなにやってあげているのに」という気持ちになる。
そんな人も多いみたい。
見返りを求めちゃうなら、やらない方がいい。
ギブアンドテイクの人は心が疲弊していくんだな。
僕はギブアンドギブの精神でいつもいられる。
見返りなんて求めていない。
それはなぜか?
やりたいことをやっているからだ。
「誰かを喜ばせること」をやりたくてやっている。
これ、重要。
やりたくないことはやらない。
やりたいからやっている。
だから、誰でも彼でも喜ばせたいわけじゃない。
目の前に喜ばせたい人がいるから喜ばせている。
逆に言えば、僕は「喜ばせたくない人」とは付き合わない。
一緒の時間を過ごさない。
好きな人とだけ一緒にいることにしている。
それだけ。
好きな人と一緒にいて、その人が喜ぶことをすれば、心はすり減ることはない。
頼まれてお手伝いをする、なんてことがある。
尋ねられて相談に乗る、なんてこともある。
大前提として、僕は「その人」が好きか。
これ、すごく重要。
僕は嫌われてもいいと思っている。
本気、そう思っている。
世の中には、自分が好きでもない相手であっても嫌われるのが嫌な人たちもいる。
そう、○タイプだ。
自分が嫌いな人になんて、どう思われようがどうでも良いと思うのだけど、そこが□タイプらしく、したがってちょっと冷たい人間に思われがちだ。
僕からすると、嫌いな人にも好かれたいという神経はすごく図々しいようにも思えるのだけど。
そんな□タイプの僕らは、嫌いな人とも大人の付き合いができる。
上手に当たり障りなく付き合えるのだ。
嫌いな人に好かれようとは思わないが、喧嘩しようとも思わないので、表面上うまいことやる。
その点、○の皆さんは、嫌いな人に嫌われたくないが、嫌いな人と一緒にいるのも嫌なので、一緒にいないようにするらしい。
何だか、めんどくせーな、と思う。
これだけ違う人間がこの地球上で暮らしているのだから、そりゃぶつかりますわな、と思う。
「目の前の人を幸せにするために何ができるだろう?」
この問いは、「やりたいことをやっている人」と「自己犠牲大好きな人」とでは、大きく意味が違うんだと思う。
まー、やっぱ、やりたいことやった方がいいよ。
マジで。