すれ違ったとしても、「違う」ということは素晴らしいのさ
Mr.Childrenの歌を聴いていて、ふと腕が止まった。
まずは、その歌詞を紹介したい。
誰かにとっての完璧(パーフェクト)は
誰かにとっての不完全
違う場所から覗いた景色は
こんなにも こんなにも
素敵なもので満ちている
Mr.Children『君と重ねたモノローグ』
同じ映画を観て同じ場面で感動することは、それはそれで素晴らしいのだけれど、そこに大きな発見や気づきはない。
居心地の良さは人間関係における最優先事項かもしれないけれど、いろんな人と関わる中で、僕らはまた新たな自分と出会う。
気の合わない人と無理して一緒にいる必要はないのだけれど、自分とは感性の違う人を排除し続ければ、人としては浅くなっていく。
「ここは何度も来たことがあるんです」と自信気に言うので、あとをついて歩く。
「あそこの道を行ってみよう」と言う彼女に着いていったら、そこに道はなかったりする。
僕は「わけがわからない」と思うのだけど、それが「違う」ということなのだと知ったとき、人との出会いの面白さを感じた。
等間隔に並ぶ樹木を見て、「前ならえしてるみたい、みんなお利口さん」と言う。
それで「あなたはどう思う?」と尋ねるので、僕は「等間隔の樹木だね」と答えたら、軽く笑って「つまらない答え」と返してくる。
僕の目には「等間隔の樹木」にしか見えないものを、「等間隔の樹木」と答える僕は、決して間違ってはいないのだけど、確かにつまらない。
どれだけ頭を振ったところで、味気ない答えしか出てこない僕を見て、「それはそれで面白い」と笑う彼女を見て、「それはそれで悪くない」と思い返してみる。
「前ならえしてるみたい」って見えるのは、そればそれで素晴らしいって思うけれど、テストで、「あれは何ですか?」って問われたとき「前ならえ」って答えたら、不正解なわけで。
いやいや、もしかしたら、僕には「等間隔の樹木」が正解で、彼女には「前ならえ」が正解なのかもしれない、とか。
「なんかいい感じ」なものは、「なんかいい感じ」でいいわけだけど、「どこが?」と尋ねてしまうのは、持って生まれた感性の問題なんだろう。
そういえば、美術館に行くと、「絵」はそっちのけで「解説」を読んでいたりする。
人間って、同じ場所にいても同じものを見てはいないのだ。
そもそも、正解なんて求めてない。
それぞれの感じ方がある。
ただそれだけのことなんだろう。
この世界は、「違う人」が無数に、そして無限につながり合ってできている。
ものの見方や感じ方は人それぞれ。
生きてきた過程も違うのだから、考え方も人それぞれ。
だから、僕らはすれ違うし、ぶつかるし、「なんで?」って思うし、傷つけ合う。
でも、違うからこそ、違う景色を見させてくれる。
そんなことってあると思う。
文学作品を読んだり、映画を観たりすると、今の自分とは異なる人生に出会うことができる。
自分と主人公を重ね合わせ、ハラハラしたり、ドキドキしたりする。
それと同じように、違う誰かと過ごすことで、僕らは自分とは異なる景色を見たり聞いたり、またそこから自分自身というものを深く深く探求していくこととなる。
違うということは、こんなにも素晴らしくて愛おしいのだ。
合わない人に合わせる必要はない。
「合わない」ということを受け止めるだけでいい。
いろんな人がいるんだな、と気がつくだけで、人は人に対して優しくなれると思うから。