なぜあの人と私はぶつかるのか。「考え」は違って当たり前なんだよね、って話
「思考」の道筋は持って生まれたものからできています。
いわゆる「考え方」ですね。
物事のポジティブな部分にフォーカスをしてから考え始めるか。
それともネガティブな部分にフォーカスしてから考え始めるか。
前者はチャレンジ精神が旺盛に見えますし、後者は慎重に見えます。
あくまでも「見える」というお話で、チャレンジ精神が旺盛な人にはチャレンジ精神が旺盛な人は、「普通」なんですね。
反対に慎重な人にとって「慎重な人」は、至って「普通」の存在です。
問題は自分とは異なるタイプの人。
これは「自分とは異なる」という点で「変わってるね」となってしまうんですね。
どういう道筋で物事を捉え、理解するか、にはクセがありますし、自分と同じならば「普通」であり、自分と異なれば「異常」ということになります。
ですから、私たちはあの人から見れば「普通」のことも、こっちの人から見れば「異常」なんてことが山ほどあるわけです。
まあ、これが考え方。
んじゃ、「考え」ってのは何かというと、「考え方」によって生み出された「結果」が「考え」なんですよね。
「考え」というのは「その人の経験」からできています。
この「経験」というのは実体験に限りません。
聞いた話や読んだことを含まれます。
ファクト(事実)だけではなく、世の中で起こるさまざまな事象を自分のフィルターを通して眺め、理解し、その蓄積によって「考え」は作られていきます。
同じ本を読んでも琴線に触れるフレーズは違いますし、同じ映画を見ても印象に残ったシーンは違うわけです。
ものを捉えるフィルターが違いますから、それはもう仕方がないこと。
そこからそれぞれが独自の考え方(思考法)で物事を理解し、噛み砕いていくわけですから、考えというのは十人十色で当たり前なんですね。
これをすり合わせて一つにするなんて作業は、そうそうできるものじゃありません。
考えなんてものは無数に存在することが当たり前なのです。
「あの人とは考え方が違う」と嘆く前に、そもそも違うのが当たり前だよ、という視点で他者の話に耳を傾けてみると良いかと思います。