「アキラメル」から人間関係はよりよくなるのです。
「アキラメル」という言葉は、とてもネガティブな感じを受けます。
でも、事が人間関係に及びますと、この「アキラメル」がとても重要なのであります。
例えば、朝目が覚めたとします。
ふと足に違和感を覚えます。
感覚がないんですね。
(おや?)と思って、布団をめくると足がない!!
「えっ?どういうこと?」と思って周りを見渡すと、どうやらここは病院らしい。
目を覚ました私の横で両親が見守っている。
言葉に詰まっている。
そうか、あのとき、私は事故にあったんだ。
事故で両足を失ったんだ。
これから一生車椅子なんだと知る。
…というドラマがあったとします。
僕らはきっと「足を失った」という事実に悲観するでしょう。
悲しみにくれるでしょう。
そのとき、僕らはどうなったら、前に進めるでしょうか、というお話です。
この「足を失った」という事実を受け入れるのには、時間がかかるでしょう。
失った足が生えてくることはないわけです。
この事実を受け止めなきゃいけません。
受け止めたうえで、「さあ、どうしよう?」になるんです。
これを僕は「アキラメル」と表現しています。
女の子にフラれたとします。
あっ…、話題が変わりすぎてごめんなさいww
いいです、女の子にフラれたとします。
そのことにウジウジして、「やっぱり忘れられないわー」ってなことで、気がつけばストーカーになっちゃう人もいます。
それじゃいけないわけです。
次の恋愛に進むためにはどうしたらいいか。
そうです。
「アキラメル」なのです。
「アキラメル」はそのことに執着する気持ちを手放す魔法の言葉。
「アキラメル」とは「明らかにする」ということ。
事実を事実として受け止め、「じゃあ、どうする?」を考える区切りとなるのです。
障害のある子どもをもつお母さんがね、昔、こう言ってたんです。
「この子が生まれて、我が家は一つになった気がして、この子が生まれてくれてよかったなって心から思うんです」って。
また、これはある別のお母さん。
その子はとても学習が苦手で、授業中座っていることもできませんでした。
奇声をあげてしまうんです。
中学生です。
「教室でみんなと一緒に授業を受けるのは難しいみたいです」と、暗に支援学級への道筋を示す学級担任に「ウチの子はそんな子じゃありません」と金切り声をあげました。
「そんな子」とは失礼な、とは思いましたが、お母さんはお母さんで満たされていないのです。
聞けば、小学生のときから何度も、「普通学級では難しいですよ」と言われている子でした。
お母さんも十分わかっていたはずです。
でも、受け入れることができませんでした。
「アキラメル」という言葉は、とてもネガティブな感じを受けます。
でもね、一人ひとりには持って生まれた初期設定があります。
それは変えられないものです。
僕がお伝えしているのは、そんな初期設定です。
そして、僕らはこの「変えられないこと」を変えようとして苦しみます。
本当に大切なことは「アキラメル」なのです。
そのうえで、「じゃあ、どうする?」が始まるのですね。