子どもの育てることのゴールは何か、という当たり前の話
これはもう、ありとあらゆる生き物がそうなんだろうけどさ。
「子育て」や「教育」のゴールは何か、って話をしたいと思うんだけど。
立派な会社に就職させるとか、学歴をつけさせるとか、資格を取らせるとか、自己肯定感を高めるとか、知識や教養をつけさせるとか。
そんなことはどうだってよくてね。
本当のゴールは何かって言うとさ。
「自立させる」だと思うのね。
30代、40代になって「パパー!」「ママー!」じゃ困るわけです。
ちゃんとひとり立ちして、大人になってくれなきゃ困るのです。
大人になってまで親に面倒見てもらってる生き物なんて人間くらいです。
マジでヤバいっすよ、人間って。
長男がひとりで電車を乗り継いで4時間、僕ら家族が泊まる滋賀県のホテルまで来ました。
それでいいんです。
駅まで迎えに行く?
そんなことはしません。
チェックインまでにホテルに戻る?
そんなことはしません。
ここは日本です。
日本語が使えるんです。
僕らが暮らした中国ではなく、日本語でコミュニケーションが取れるのです。
何も困ることはありません。
親の出番なんかないのです。
娘は受験生です。
全部、子どもが決めます。
相談には乗りますが、決定権は本人です。
親の出番なんかないんです。
無責任?
バカなことを言っちゃいけない。
そこまでに何もしていない親子関係ならば無責任です。
我が家は違います。
これまでにそれができる子育てをしたうえで、「自分の進路は自分で決めなさい」なのです。
海外で暮らしていたとき、たとえばレストランで子どもがトイレに行きたいと言い出したとします。
僕が教えるのは「トイレの尋ね方」です。
中国語ならこう。
英語ならこう。
さあ、行っていらっしゃい、です。
そうやって、一つ一つ、教え、やらせて、経験させる。
いろんな経営者や起業家に合わせるのもそうです。
そのひとつひとつが学びです。
飲食店に行けば、そこでビジネスの話をします。
この店の問題点は何か。
高級ホテルから安いビジネスホテルまで、いろんなところに止まります。
それも経験です。
JALに乗るときもあれば、LCCに乗るときもあります。
高級ラウンジも経験させますし、狭い待合室で過ごすこともあります。
全部経験です。
全部経験させて生きる力を育むんです。
最終ゴールは親がいなくても生きていけるように育てるのです。
自分の命が尽きようとしているとき、子どもの心配をしているとしたら、それは子育ての失敗です(子どもが未成年の話はしてませんよ)
立派に成人しているならば、「もうお前は十分やっていけるぞ」と伝えて、今世を終えたい。
僕はそう思っています。
子育てのゴール、教育のゴールはつまり、ちゃんと大人にするってことなのです。
まあ、ちゃんとした大人が少ない現代社会ではありますが…。
じゃあ、ちゃんとした大人って何よ?って話はまた今度にしましょう。