未来を信じることは、自分を信じるということ
僕は僕の未来を信じている。
きっとうまくいく。
すべてはうまくいくようにできている。
そう信じているからこそ前に進める。
多額の費用を使って、システム開発をしている。
売れるかどうか、何の保証もない。
でも、僕はうまくいくと信じている。
信じているから前に進める。
何度か、きっとコケるだろうけど。
転んだら起き上がればいい。
あきらめたらゲームセット。
僕は「あきらめない男」だと、僕自身が信じている。
あきらめないから、できるまでやる。
うまくいくまでやる。
そういう人間だと、僕は僕を信じている。
公務員を辞めるとき。
当然不安だった。
高校生、中学生、小学生。
3人の子どもと専業主婦の妻を食べさせていかなければならない。
不安で不安でいっぱいだった。
でも、同時に僕は僕を信じていた。
きっとうまくいく。
すべてはうまくいくようにできている。
「自分を信じる」と書いて「自信」である。
「自信」がないのは当たり前。
自分のことを信じられるぐらい、「自分」という命を使って、鍛錬するといい。
「あぁ、お金どうしよう?」と思ったとき、今の僕は「なんとかなる」と思っている。
なんとかなると思えるのは、それだけの経験をしてきたからです。
「根拠のない自信をもとう!」という人もいるけど、僕は「根拠のある自信」が大人には必要だよな、と思っている。
その根拠とは何かというと、経験だ。
僕はお金がないというどん底を味わっている。
そして、必死に知恵を巡らせ、お金をなんとかしてきた経験がある。
だから今は、根拠があって、「なんとかなる」と思っている。
でも、最初からそうだったわけじゃない。
「根拠」を作るために、必死に行動した。
汗水垂らして働いてきた。
今だってそうだ。
毎日必死に働いている。
そうやって、自分を鍛錬し続けたら、磨かれて輝くんだよね。
自分探しとか、自分磨きとか、そういうのはお金のある人の道楽だと思っている。
暇潰しだろ?結局。
現実を生きてる僕らはさ、鍛錬なんだよな。
結果を出し続けなきゃ、明日の飯が食えないわけ。
このプレッシャーの中で、自分を鍛えてきたらさ、そりゃ強くもなるよ。
安定なんて手放して、野生に還る。
そんな感じで、この命を輝かせた、もう人生なんて自由自在だよ。