命が尽きるときを考えればさ、生かされている意味に気づかされるんだ。
最近、悲しいニュースが多い。
コロナ渦になってからだろうか、有名人が亡くなるニュースをよく目にするようになった。
まして、最近は若い人が自らの命を絶つニュースがあって、ひどく心を痛めた人も多い。
僕ら命術師にとって、命をどのように考えるか。
僕はこの考え方が好きなのでシェアしておきたい。
僕らは「宇宙」という大いなる意志のもとで生きている。
それが「宇宙」なのか、「天」なのか、「神様」なのかはよくわかんない。
よくわかんないけれど、とにかく「すっごい何か」の意思で、僕らはこの世界に生を授かったと考える。
また、この命にはなんらかの「役割」というか、「意味」をもって生まれてきたわけ。
必要があった生まれてきたんです。
はい、僕も、あなたも。
この世界に必要な存在だと、「すっごい何か」が思って、生まれてきたわけです。
そして、その「役割」というか、「意味」を終えたとき、自然に淘汰されていくのだと言います。
「命が尽きる」とは、つまり「命」を全うしたことなのだと思います。
だから、誰かが亡くなることは悲しむべきことなんだけど、一方で、その人は精一杯生きて生きて生き抜いて、ようやく旅立ったとも考えられるわけです。
僕も昔、そういう形で友人を亡くしました。
信じられなくて、信じられなくて、葬儀場で泣き崩れました。
嗚咽をあげて泣きました。
3年ぐらい引きづりました。
でも、この考え方に出会って、「そうか…」と独り合点したんです。
精一杯生きたんだよな、って。
みんな精一杯生きてるんだ。
そして、生き切ったんだよな。
そう思えたとき、少しだけ僕は友人の死を受け入れることができました。
僕がこの考え方が好きなのは、逆に言えば「今を生きている人たち」は、どんな人にでも「役割」があり、「意味」があるということです。
生きている以上、この世界に必要のない人などいないのです。
西洋の考え方は、ダメなものは切り捨てる考え方をします。
悪いところがあれば手術して切り取りますし、ダメな奴、使い物にならない奴は切り捨てます。
「良い」と「悪い」の二極で考えます。
東洋の考え方は、全部必要だよね、という考え方をします。
「アイツはダメだ」と切り捨てたりしないのです。
「陰」と「陽」で考えます。
どうしたら「陽転」するのかな?を考えるんですね。
今日も生きている。
それが素晴らしいのです。
朝、目覚めたら、生きていることに感謝しましょう。
友達に会えたら、会えた人に感謝しましょう。
その人も生きていてくれた。
それだけで、幸せなことなんです。
生きて生きて生きて、生き抜こう、今日も。