「脳は否定系の言葉を理解できない」ってどういう意味ですか?
「脳は否定系の言葉を理解できない」とよく耳にするけれど、それをちゃんと説明してくれる人は少ない。
僕は全然、「脳は否定系の言葉を理解できない」の意味がわからない。
それで、どういうことって尋ねると、「脳は否定系の言葉を理解できないから、脳は否定系の言葉を理解できないの」という説明が返ってくる。
ものを考えない人たちは、とてもシンプルでいいなーと思う。
んで先日。
あるTikTokを見ていたら、「なるほど!」と思う説明があったのでシェアしたい。
「象を想像しないでください」
そう投げかけられた瞬間、僕の脳裏に「ゾウさん」がパオーーン!
「象を想像しないでください」ともう一度言われても「ゾウさん」がパオーーン!
もひとつオマケに「象を想像しないでください」と言われて「ゾウさん」がパオーーン!
なるほど、否定系の言葉が理解できないってそういうことか、と独り合点したわけ。
わかりやすく説明できるって大事。
この話には続きがある。
スキーで森の中を滑るとする。
それで僕はあなたにこんなメッセージを出す。
「木にぶつからないように滑ろう」
すると、脳は「木」に焦点を当て始める。
脳は否定系の言葉を理解できないから「木」に意識がいく。
そして、気づく。
「森ってこんなに木がいっぱいあったっけ?」って。
しばらくして木に激突することになる。
それで、こんな指令を脳に出す。
「滑れるところを滑ろう!」
すると、脳は「滑れるところ」を探し始める。
そして、気づくだろう。
「森の中にはこんなにも滑れるところがあったのか」と。
悠々と斜面を滑り降りるあなたがそこにいる。
何に焦点を当てるか。
これは極めて重要な問題だ。
来年からまた3年間、市の自殺対策委員をしてほしいと、連絡があった。
もちろん、この社会に貢献できること、僕はなんだって引き受ける。
自殺対策を考えると、僕らはどうしても「自殺をさせないこと」を考えるのだけど。
僕はこの「脳は否定系の言葉を理解できない」という話を聞いて、こんなことを考えた。
僕らは「死んではいけない」というメッセージを出し過ぎてはいないか。
「辛かったら相談しよう」と「辛いこと」を焦点化し過ぎてはいないか。
伝えるべきは、「生きることってこんなに面白い」ってメッセージなんじゃないか、って思うのだ。
この人生は困難に満ち溢れている。
そんなの当たり前じゃないか。
自分を傷つけてくる人はいるし、思い通りにいかないことばかりだし、生きているってなかなか困難だ。
その困難という名の経験値が僕らを成長させ、人生を面白くする。
スパイスのないカレーは美味しくない。
人生はスパイシーな方が刺激的だ。
困難なんてスパイスだよ。
困難に出会ったとき、それを分かち合う仲間がいたり、話を聞いてくれる人がいるといい。
たった一人の自分が持って生まれた花を咲かせる。
みんなに支えらえながら、花を咲かせるのが面白いんだよ。
この命は今日終わるかもしれないし、20年30年後も尽きていないかもしれない。
この、いつまで続くのかわからないけれど、やがて誰にでも平等に訪れる「生」の終わりに向かって、僕らは精一杯生きるだけなのだ。
そんなこの人生がどうしたら面白くなるか。
僕はそちらにフォーカスしたい。
今夜、死神がやってきて、「君は明日までの命さ」と言われても、僕は笑って受け入れられるように、今日という日を生きていたい。
どこまで行っても、道半ばの人生なのだから、タイムアップ寸前まで僕は僕を輝かせていたい。
僕はそんなことを考えている。