「叱る」の前に「思い」が大事。言葉に思いが宿るのですよ。
岡本茂樹さんの『反省させると犯罪者になります』という本がある。
読んだことはないのだけど、すごいタイトルだな、と思った。
僕ら大人は反省させるのが好きだ。
でも、反省させるって意味がないなーって思ってきた。
僕は生徒指導という役割を担ってきたから、いわば「反省させる人」でもあった。
でも、反省させるって意味がないなーって思ってきた。
悪いことをした子どもが「ごめんなさい」と言う。
「もうしません」と言う。
(そういうの、いらないのにな)って思ってきた。
「反省の言葉とかいらないし、ごめんなさいとか言わなくてもいいのよ」
と僕は伝えた。
そして、
「ここからだぜ?反省の言葉なんかなくたって、これからの君を見ていれば、本当の意味で心に響いているかがわかるんだからさ」
と締めくくる。
「叱る」とか、マジで無駄。
話を聞いてやって、「これからどうする?」でおしまい。
そんな感じで指導は終わる。
結局人間は「言葉」ではない。
「行動」に思いが宿るわけで。
(しまったなー)と心から思っている人間。
こちらの思いが腹に落ちている人間は、行動が変わる。
怒鳴って叱って反省させても、響いてなければ何も変わらない。
大切なのは、反省させることではない。
そのあとの行動が変わることである。
だから、僕はとことん話を聞いた。
「お前の気持ちもわかるけど、やったことはマズかったよな」という話をする。
「話をする」というか、本人が気づくまで「付き合う」のが正しい。
それで、この文章で何が言いたいか、というとだ。
「反省させるのはよくない」という話では決してない。
「人の思いは行動に宿る」ということを言いたいのである。
どれだけ綺麗な言葉を並べてみたところで、人はその人の行動を見つめている。
どんな言葉を使い、どんな行動をしているのか。
その人は他者を慈しむ者か。
それとも他者を攻撃する者か。
そういうところを、みんなちゃんと見ているのだ。
思いは行動に宿る。
だからこそ、行動に気を配りたい。
…という話でもない。
結局、僕が何を言いたいかというと、「思い」が大事ですよ、という話なのだ。
あなたの抱く「思い」が「言葉」や「行動」になって表現され他者に伝わる。
その言葉、どんな思いで発信したの?
ってことを、読み手は感じているのである。
「叱る」ということひとつを取っても、同じである。
目の前の子どもの幸せを本気で願えば、伝え方は変わる。
「思い」は伝わるものであり、「思い」のない中での「叱る」は、相手の心を遠ざけるだけである。